謝恩会

 小学校六年生の子どもの母親ですが、来春の卒業を前に卒業対策委員に選ばれました。アルバムの編集、修学旅行、謝恩会など計画を立てる段になって担任の先生から謝恩会は不要なのではないかという意味の助言を受けました。学校では今までもずっとやっていたし、子どもたちも楽しみにしています。どうしたらいいものでしようか。
 小学校卒業という新しい経験の場に立たされた子どもたちは、今は螢の光、窓の雪の感傷はなくても、それぞれの子どもなりにいろいろな思い出を待ち、新しい希望に胸をふくらませています。学校では、六か年の思い出をたどり将来に幸多かれと、いろいろの行事などが行われます。
 卒業式、卒業生を送る子ども会、卒業生を送る学芸会、卒業生を送るソフトボール大会、卒業記念文集、卒業記念アルバムなど、学校によってさまざまな卒業生のための計画があります。
 ところが、ある学校では謝恩会に並んで、在校生とのお別れ遠足、在校生へ雑巾を贈る、学校に感謝する清掃週間、在校生に贈る卒業作品共同制作、などを卒業生が自主的に計画し実施しています。

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 卒業する子どもたちが寒い冬の日、一年生の教室から物置、廊下、と自分の手作りの雑巾で世話になった校舎を次々と磨きあげていく姿には感動します。
 世話することに慣れた親に育てられたワガママな現代っ子は感謝することを忘れてしまっているようです。親もまた、子どもが感謝しなくても別に気にもしません。そして現代は感謝とか謝恩などという言葉さえ古びたもののように口にする者が少なくなりました。そういえば近ごろの子どもは、すみません、ありがとう、もったいないなどの言葉も忘れてしまったようです。
 人という文字はお互い相手に支えられているから人なのです。感謝の心を持っているからこそ人間と言えるのではないでしょうか。この心は他人に押しつけられて生まれるものでないとはいえ、幼いころから親が子どもに教えなければ芽生えるものではありません。昔から父母や師に対する恩から天地、衆生に対する恩に感じることの大切さを教えています。吉川英治が「我以外 皆 我師」と言ったのも万物に対する感謝の心だと思います。
 卒業する子どもたちが、先生や在校生に名残りを惜しまれ、門出を祝福されて送られることはとても美しく、うれしいことです。しかし、送られる卒業生が在校生や先生や校舎、校庭をふり返って感謝し、名残りを惜しみ「しっかりがんばるからね」と希望に輝いて去る姿も美しいものです。
 感謝の心はふり返りの心であり、前進の心です。満たされ過ぎている現代こそ薄れやすい感謝の心を親や教師は、幼いうちから子どもの心にていねいに培いたいものです。
 謝恩会は昔から卒業する子どもにとって楽しい行事の一つでした。田舎では子どもたちは田んぼや畑を耕していましたので、謝恩会には朝から子どもたちが手分けして手作りの米や野菜で赤飯や煮物を作り、先生や小使いさんを裁縫室に招いて畳に車座になり、日の暮れるのも忘れて歌ったり談笑したものでした。
 近ごろは謝恩会の形も雰囲気もすっかり変わり心が抜けてしまったような感じもします。そして、謝恩される側の先生がなんとなく謝恩会に背を向ける傾向が見られるのはどうしてでしょう。「給料分以上やっていないので感謝される筋はない」「いまさら謝恩などと言われると白ける」「形式的で心がない」などといろいろ推測してみるのですが、どれも一理あるように思うのです。
 本来感謝する者とされる者は向かい合った立場にあるものです。だからされる者が「されたくない」「されるようなことは何もしていない」と思ってもそんなことにかかわりなく勝手に感謝するものなのです。その反対の場合も当然あるわけです。これは、親子、師弟はもちろん、どんな関係でも同じで、感謝される、されないは相手の問題なのです。「私は年をとっても子どもの世話には絶対にならない」などと平気で言う親がいますが、無理してわが子に聞かせる言葉ではないように思います。
 子どもにとって教師は命綱であり、心の心に焼きついた忘れ難い姿であるよう精いっぱい本音で子どもを指導して欲しいし、叩かれ、しかられたことを含めて熱い思い出に子どもを去り難くさせるような魅力いっぱいの教師であって欲しいと思います。そして、子どもたちの本音の謝恩に喜んで甘えてやる教師でありたいと思います。
 謝恩会を六年間の「最終総合学習」として取り上げてみたらどうでしょう。これまでの子どもの自治活動を生かし、場合によっては父母も参加して例年の謝恩会の反省から、謝恩会の趣旨など率直に話し合い、実施するかしないかから決めていくのです。
 実施と決まったら誰が主催する筋のものか、お客さんは誰か、心のこもったものにするため形式をどうするか、役割分担をどうするかなど順次決め実施にうつしていくのです。
 この過程で親や教師はその気になれば子どもにいろいろの事を指導できるし、子どもの動きの中に親や教師はこれまでの指導の反省をすることもできると思います。
 担任や親が苦労し、子どもが平気でお客さんになっている主客転倒の謝恩会や、金ばかりかけて形式化した謝恩会から脱皮して、原点にかえって考え直し、あくまで教育的で金をかけずに心をかけたほのぼのとした謝恩会にしたいものです。きっと先生も喜んでくれるでしょう。

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