体罰を加える先生

 小学校四年生の女児ですが、時々先生に髪の毛を引っぱられると言うので、聞いてみると、耳や髪を引つぱられたり叩かれたりしない子はいないそうです。それでも信頼されている先生なので子どもたちは別に苦にしていないようです。学校では、子どもに対する体罰をどのように考えているのでしようか。
 教育の難しさはわが子を育てる親が一番よく知っていることです。まして教師は大勢のよその子を教育するのですからその悩みは尽きることがありません。
 教育は人間と人間との毎日のふれ合いですからなんとかしようと真剣になればなるほど主観や感情が動き出すものです。ある先生は「教師の体罰は教育の敗北だ」と、自分に言いきかせました。そのとおりだと思います。
 たしかに他に方法があるはずです。プロの教師たるもの人格を高め教育技術を磨かなければならないと思います。
 学校教育法には「校長及び教員は教育上必要があると認めるときは監督庁の定めるところにより学生生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし体罰を加えることはできない」と規定しています。殴る、けるなど懲戒の内容が身体的性質のものはもちろん体罰となりますが、昭和二十四年に「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」として旧法務府見解は次のように示しています。
 1. 用便に行かせなかったり食事時間を過ぎても教室に留めおくことは肉体的苦痛を伴うから体罰となり学校教育法に違反する。
 2. 遅刻した生徒を教室に入れず授業を受けさせないことは例え短時間でも義務教育では許せない。
 3. 授業時間中怠けたり騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。教室内に立たせることは体罰にならない限り懲戒権内として認めてよい。
 4. 人の物を盗んだり、こわしたりした場合などこらしめる意味で体罰にならない程度に放課後残しても差し支えない。
 5. 盗みの場合などその生徒や証人を放課後尋問することはよいが、自白や供述を強制してはならない。
 6. 遅刻や怠けたことによって掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。
 7. 遅刻防止のための合同登校は構わないが、軍事教練的色彩を帯びないよう注意すること。

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 ドストエフスキーの「罪と罰」をご存知と思います。本来罪と罰は内的なものであり、一枚の紙の裏表のようについてまわるもののように思います。悪い事をしたら、しかられたり罰せられて当然で、人間にはそれを求める心があるようです。そして自分の信頼しているものからそれ相当に裁かれ罰してもらいたいのです。純心な子どもにその心の動きをよく見ることができます。場合によっては体罰さえ欲します。そんな時、叩かれてうれしく、そこに愛さえ感じるのです。肉体的苦痛を伴う体罰の形をとっていても、また与える方が体罰を与えたつもりでも、必ずしもいわゆる体罰になっていない場合があるように、体罰は内的に不可解なものをもっているようです。
 「親にさえ一度も叩かれたことがないのに」とある青年がわめきました。体罰のない教育だからといって、ただそれだけで安易に安心はできません。
 洋の東西を問わず先生は鞭を持っていたようです。鞭というと動物の調教師や禅の坊さん、中国で見た鞭刑などを思い出します。何か共通した意味を感じるのです。それは「鞭打つ者と鞭打たれる者」です。鞭打つ者と打たれる者の間に鞭を通して通い合う「合掌の心」がなければなりません。両者のかかわりが大事なのです。このような鞭を自信をもって子どもに使える教師が何人いるでしょう。
 もちろんどこの学校でも体罰はご法度です。それなのに教師の体罰は絶えません。その体罰の形も教師によって様々です。殴る、ける、髪や耳を引っぱる、つねるなど一般的なものから、水を入れたバケツを両手にぶらさげる、マジックで額に赤丸をつける、背中に罪状を書いた看板をぶらさげる「念仏棒」と称する大い校で自分の頭を叩かせるなど変わったものから、連日掃除を一人でさせたり、漢字を百字書かせるなど、教師もよく考えるものだと感心します。しかし反面先生方の苦衷もわかるような気がします。ただ殴る、けるなどは怪我をする危険があるし、髪や耳を引っぱったり、つねるなどは陰湿な感じがするし、マジックや看板は子どもの人格を傷つけるし、掃除や漢字の書取りを罰に利用するのは矛盾があっておかしいのです。やはり体罰の形式にも教師の人柄や教育観、児童観が出ているようで恐ろしい気がします。
 「鐘が鳴るかよ撞木が鳴るか鐘と撞木のあいが鳴る」「あい」は「相」か「間」か「合」かはとにかく、美しい「愛」の音を打ち鳴らすのが教育だと思います。
 しかし、教師にとってそれが理想であっても、現実は凡人教師にとって難しいことです。
 教師とて人間です。静かにふり返ると子どもをしかったり、体罰を加える時の自分が感情に走り主観に立っていることを知るのです。これはおそらく親の心情も同様と思います。
 教師は安易に「愛の鞭」に隠れて体罰を正当化する甘えを捨て人格を高め、プロとしての教育技術を磨き、教育の敗北者にならないようたゆみない精進を続けるべきだと思います。
 ただ、現代の社会は他人の他人部分まで平気で入り込み波立てる風潮があります。このような風潮に惑わされることなく、まず、教師と子どもと親は緊密な人間関係で手を結び愛を守っていかなければなりません。教師はまずそこに手だてをつくすべきでしょう。
 そんな教育的土壌の中では、お互いの主観や感情も解け合い、体罰さえも受けいれさせる静かな教育の場となることでしょう。

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