新教育と子どもの権利

 子どもの発達についての理解は、子どもを権利の主体とみなし、明日の社会の主人としての自党の形成を課題とする教育観と結びつかねばならない。新教育の理論は、子どもについての認識と子どもの権利の思想を二本の柱として成立する。もとより、現実の新教育の運動は、雑多な央雑物を含み、ある場合には、政府の御用教育の理論でさえあった。クループスカヤは、このことを端的につぎのようにのべている。
 「二〇世紀にとっては、ヨーロッパおよびその他の資本主義諸国において、教育思想および教育的建設の力強い、ほとんど狂熱的とさえ見える成長が、きわめて特徴的である。工業発達は、住民にたいして、たえず新しい要求を提出し、それを充足することは先進的な国々にとって死活の問題となった。この要求の影響をうけて、古い学校は仮借ない批判をうけなくてはならず、それも個々人の側からでなく、公式な国家機関の代表者、たとえばフェルスターとかケルシェンシュタイナーとかいった人びとの側からもなされた。」

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 わたしたちは、これらの雑多な動きや思惑に混じって、子どもの具体的な発達の諸相と、それを貫く発達の法則性を明らかにしようとする努力、さらに、それと結びつけて、未来を担う子どもたちの人間的な成長を願い、その発達と学習を権利として認める志向を見出すことも容易である。わたしたちは、このような努力の総称として、新教育ということばを使おうと思う。ワロンは、一九三二年、ニースで行なわれた国際新教育連盟第六回大会での講演のなかで、つぎのようにのべている。
 「新教育は大人にたいして子どもの権利を宣言してきたのであります。疑いもなく、子どもの権利はずっと昔、すでに、ジャン・ジャッタ・ルソーによって主張されておりました。しかし、大人は子どもを利用したのではないかと思われます。大人はます自分の権利を認めさせましたが、ついで、それを認めさせておきながら、子どもの権利を承認するにはかなりの年月が、いってみれば一五〇年の年月がかかりました。」
 この歳月の間に、義務教育制度が整備・普及し、教育の機会は国民的基盤で拡大していった。しかし、この歴史過程は、労働者の階級的自覚、労働の権利、政治への権利と結びついた教育権の自覚的運動を与件としながらも、経済的・技術的インパクトと、政治的統合の意図のもとに、上から整備されたものであり、いわば権利としての教育の実現の過程とは必ずしもいえない。
 支配的教育制度のもとでの支配的教育観にあっては、教育は権利ではなく、社会成員の義務であり、その社会の価値の伝達と秩序維持を目的とするものと考えられた。それは権威主義的教育であり、そこでは宗教・道徳教育、ないしは政治・道徳教育が主要な教育内容となる。そこでは、子どもは目的としてではなく手段として位置づけられ、子どもの心性を無視しての教師中心、ないしは教科書中心の教え込み教育すなわち教化が支配する。それは、社会ないしは国家中心の教育観であり、そこでは、子どもは無知なおとなに過ぎない。
 このような支配的、伝統的な旧教育に対して、二〇世紀の新教育運動は、子どもの具体的、実証的研究に裏づけられた、子どもの発見と子どもの権利の思想を対置した。たしかに、われわれは、新教育の思想的源泉を、ルソーやペスタロッチ、さらにはコメニウスにさかのぼることができる。そして、その時代の文学や絵画のなかに、中世のそれとは異なった特質として、子どもの発見がみられることも事実である。しかし、そこでの子どもの発見は、なお、直観的ないしは風俗的な発見にとどまっていたといってよい。
 新教育が、より確固とした思想的基盤を獲得するためには、一方で、人権と子どもの権利の思想の発展と、他方で、それを発達の事実と論理によって裏づける発達と教育の科学の前進が必要であった。ルソーやコンディヤック等の近代教育思想を先駆としつつ、その後継者として、イタール、セガン、モンテッソリー等の精神科医たちの異常児に対する臨床的努力と、シュテルン、デョーム、ビネー等の観察やテストの方法による子どもの心理学的発達研究の知見は急速に蓄積されていき、弁証法的思惟方法と進化論的知見が、発達の視点の形成をいっそう強くうながした。
 これらの動きを背景に、二〇世紀は、エレン・ケーがそう呼んだように、子どもの世紀と名づけるにふさわしい動きを示した。新教育は、前世紀の終わりから今世紀にかけて、世界的な運動に拡がっていった。デューイのシカゴの実験学校やドクロリのエルミタージュでの新学校の経験は、新教育の実践的裏づけとして、国際的新教育運動の中心を形成していった。これらの運動は、第一次大戦後の、平和を求め民主主義を求める運動と結びついて飛躍的な展開を示した。一九二一年、カレーで聞かれた第一回新教育国際会議は、その高揚を反映し、各国で新教育の運動は拡がっていった。ヨーロッパでは、フランス、ベルギーー、スイスで、フランス語圈諸国は積極的に交流をはかり、機関誌「新しい時代のために」を中心に、新教育の国際的中心を形成していった。編集には、フェリエール、ドクロリ、ピアジェ、ピエロンそしてワロンが当った。世界的物理学者でレジスタンスの組織者でもあったランジュバンは、この運動の初期から、協力を惜しまなかった。これらのことからもわかるように、第一級の科学者たちが同時に、新教育運動の指導者であったことは、この運動の理論的水準と実践的拡がりを支えるものであった。
 それはジュネーブでの児童権利宣言を生み出す力となった。これらの運動はやがてファシズムとのたたかいのなかで、実践的にもきたえられ、理論的にもゆたかになった。戦争によって国際交流はいったん途絶えたが、しかし、それぞれの国で、戦後改革を用意する主体的な核となり、戦後、再び、「新しい時代のために」は再刊された。すでに戦争中から準備され、一九四七年に発表されたランジュバン・ワロン教育改革案は、このような流れのなかで位置づけることができる。その第一原則は、すべての子どもたちは「その人格を最大限に発達させる平等な権利をもつ」とあり、第三原則は、発達の権利と結びつけて、教育の権利を宣言し、それを擁護する義務を国が負うべきことをうたっていた。そしてこれらの動きが、ユネスコの活動に反映し、世界人権宣言の教育条項や国連での児童の権利宣言を生み出す思想的基盤になっていったといってよい。ユネス第一一回総会で採択された「教育上の差別待遇反対に関する条約」、さらには一九七一年三月、国連の「第二二回社会進歩のための委員会」で協議された「精神薄弱者の権利宣言案」は、この思想をさらに発展させたものだといえよう。
 こうして、子どもの権利の思想は、新教育の運動に支えられて、子どもの発達に即してその内実が具体化され、そのことが子どもの権利の宣言的ないしは法的定着を確かなものとしていったのである。

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