子どもの権利の構造

 わたしたちが、日常的言語として子どもの権利という場合、子どもを親の所有物視するのではなく、子どももひとりの人間として、その人格をもった主体としてその人格を認めることを意味している。
 近代の市民革命が、人間は生まれながらにして自由であり、その人権は平等に保障されているというとき、それは子どもの人格と人権を認めることを含んでいた。このように子どもの人権を認める思想は、近代の人権思想に固有のものとして、ロックやカントの法思想のなかに見出されるのはきわめて当然のことだといえる。そして、その権利は、法的には、出生とともに始まるものとされ、わが国の民法においても、その第一条三項には、「私権の享有は出生に始まる」と記されている。この場合の子どもの権利とは、したがって子どもの人間としての権利に力点がおかれている。

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 子どもの権利という表現は、そこに留まるものではない。それは、子どもとしての権利、子ども固有の権利を意味している。その権利の内容は、さらに何に対する子どもなのかによって異なる。それはまず、第一に、親に対する子の権利、親子関係における権利問題である。
 親権思想とその法解釈の歴史的推移は、同時に家父長権から親権が自立し、さらに親権に対して子どもの権利性が確認されてくる過程である。かつて家父長に、その家族の生殺与奪の権利が認められていたとき、教育に関しても、父母の権利を越えて家父長がその子どもに対する教育権をもっていた。しかし、市民革命は、家父長制と結びついた共同体的規制をうちこわし、家族は、父母と子を中心とする小家族へと次第に移行する。その過程で、親権は、一方で家父長権に対抗しつつ、他方で子どもの権利の承認と対をなす親権の義務性を中心にその内容をかえていった。しかし、現実の親子関係のなかでは、親権はなお支配権的に解され、それは産業革命と児童労働の必要のなかで親権の濫用として機能し、子どもの人権は無視されていた。過酷な児童労働の現実に対して、やがて、旧支配屑の恩情主義、さらには、産業資本の経済合理主義的観点からも、一定の児童労働保護の必要が叫ばれるようになり、親権の濫用を取り締るための工場立法をみるにいたる。工場法は、全体的には、総資本の立場からの資本の論理の貫徹を保障する法律であるが、同時にそれは、工場主と親の恣意的搾取に対しての、児童保護の観点を含んでいたことは否定できない。こうして、資本主義の現実のなかで、親権濫用に対する子の権利としての子どもの権利の視点が次第に確立されてくる。
 第二に、子どもの権利の観点は、おとなとは違う子どもの発見と子どもの権利の視点である。「人は子どもというものを知らない。このうえなく賢明な人々でさえ、大人が知らなければならないことに熱中して、子どもにはなにが学べるかを考えない。かれらは子どものうちに大人をもとめ、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない。」この「エミール」の序文が端的に語っているように、この書は、まさしくおとなとは違った子どもの発見と、子どもの権利の宣言の書であった。もとよりそれは人権の思想のより徹底した表現であった。ルソーは「子どもたちは、人間として、また自由なものとして生まれる。かれらの自由はかれらのものであって、ほかの何人もそれを処分する権利をもたない」とのべている。
 おとなとは違った子どもの発見の視点は、理性の限りない発展と人間の完成性への信頼の思想と結びついて、古い世代をのりこえる新しい世代の権利の思想へと展開する。そしてこの観点は公教育の国家権力からの独立論の根拠となった。その典型をコンドルセの公教育論に見ることができる。
 彼によれば、公権力はいわば、古い世代に担われているものであり、「公権力の受託者は、知識の総量を増大する運命を担った人々がすでに到達している地点から多少ともおくれているのが常である」「公権力は、どこに真理が存し、どこに誤謬があるかを決定する権利をもつものではない」「およそ教育の第一の条件は、真理のみが教授されるということであるから、公権力の設置する教育機関は、いっさいの政治的権威から、できるかぎり独立していなければならない」。
 そして真理は日々新たに顕われ、学習は絶えまなく続けられねばならない。「一人前の社会人となっても、まだ自分がうけた教育によって授けられた思想を、そのままそこで持ちつづけているような人は、もはや自由人ではない。そのような人は、その主人の奴隷である」。かくてコンドルセの「新しい世代の権利」は、生涯にわたっての自己教育の思想と結びついていた。コンドルセの思想を貫いているものは、理性への信頼と人間の完成性への信念であった。
 以上のように、近代の思想的先駆者のなかに、そして子どもの人権を否定する児童労働の過酷な現実のなかに、子どもの権利への着眼点は見出される。わたしたちは、今日、これらの観点を総合しつつ、子どもを人格と人権の主体として確認したうえで、親に対する子、おとなに対する子ども、古い世代に対する新しい世代としての子ども・青年の、それぞれの相における権利の内容を具体的にとらえることによって、子どもの権利の思想を、さらにゆたかに発展させることができるといえよう。

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