日本での子どもの権利の歴史的背景

 わが国において、子どもの発見と、子どもの権利の思想をたどることは容易ではない。戦前の天皇制国家のもとで、人権と子どもの権利の思想の定着する可能性はなかったからです。一般的にみても、権利の態様は、河上氏がいみじくも言いあてたように、ヨーロッパのそれが「天賦人権、入試国権」であるのに対して、わが国では、「天賦国権、国賊人権」というべく、すべてにおいて国家本位主義が貫徹した社会で、人権思想の育つ余地はなかった。いわんや、子どもを権利の主体と認めることは「民法出でて忠孝亡ぶ」という穂積氏のことばが示すように、天皇制家族国家観の根底にふれ、それは親に対しては不孝、国に対しては不忠を意味するものでしかなかった。しかし、この国においても、権利の思想が皆無であったわけではない。

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 自由民権の思想運動のなかで、たとえば植木枝盛の憲法私案には、「学問と教育の自由」の規定がみられ、啓蒙思想の影響下にある「教育新語」で赤松次郎は、「父兄ノ子弟ヲ教育スルハ、父兄ノ子弟二対シテ為スベキ義務ナジ。而シテ児童ノ幼ョリ学二親キテソノ教育ヲウクベキハ天賦固有ノ権利ニシテ、理ノ正二然ルベキトコロナリ」と論じ、子どもの教育への権利を、天賦固有の権利と認めている。なおこの雑誌にはルソーの「エミール」が訳出掲載されている。おそらくこれが最初の邦訳だと思われる。
 法律思想においても、最初の民法草案に尽力したボアソナードは、その親権解釈において、「一切ノ権利ハ子二属シ、父兄ハ只義務ヲ有スルニ過ギズ」と明解に論じたし、法典論争では、少数派ではあったが、権謀次郎がボアソナードの思想を受け継いで、個性的な近代的親権論を展開した。
 教育勅語の成立と教育と宗教の衝突事件は、天皇制国家の正統の確立と異端の排除をうながしたが、この異端である社会主義あるいは無政府主義的思想のなかに、絶えず子どもの権利の思想は再生され、権利としての教育の思想の地下水を形づくっていった。
 日本最初の社会主義政党として、一九〇一年結党、即日解散を命ぜられた社会民主党綱領には、その第一一項で児童労働の禁止を規定するとともに、すべての子どもの教育を受ける権利がうたわれていた。そこにはこう書かれている。「吾人ハマヅ人々ヲシテ平等二教育ヲ受クルノ特権ヲ得セシメザルベカラズ。教育ハ人間活動ノ源泉国民タルモノハ誰ニテモコレヲ受クルノ権利ヲ有スルモノナレバ社会ガ公費ヲ以テ国民教育ヲナスハ真二当然ノコトナリトイフベシ」。その指導者の一大幸徳秋水も、一九〇七年に「吾々は亦、社会の一員として一人前の教育を受くるの権利」があり、義務は「社会が負ぶ」とのべていた。
 大正に入ってからは、平塚らいてうは、婦人解放とともに、子どもの権利を主張したし、大正新教育運動家の一人、西山哲次は、「教育読本子供の権利」と題する書物を書いた。そこで西山は、「子供には三つの天与の権利がある」とのべ、「善良に産んで貰ふ権利」「善良に養育して貰ふ権利」「よく教育して貰ふ権利」をあげている。また、下中弥三郎は、すでに一九〇四年「子供至上論」で、「子供は宇宙の生命であります。実に子供は一切の主権者であるといってよろしい」とのべ、小学教育すら受けられない子弟は、「吾等の立場から言へば義務の回避でないこと勿論、又決して権利の放棄でもない。これ明らかに社会がそれ等国民子弟の本来具有する「学習権」を践順して居るのである」とのべた。下中弥三郎や野口授太郎、為藤五郎らによってつくられた「児童の村」小学校は、大正末期から昭和初期にかけてのもっともユニークな教育実践を残し、それに参加した若い教師、小砂丘忠義の「原始子ども」論は、生活綴方運動における子どものとらえ方の一つの典型となった。さらに、佐々本局や村山俊太郎等、北方教育の教師たちの思想と実践のなかに、わが国における子どもの発見と子どもの権利の思想の系譜をたどり、教化を教育へときりかえしていった実践の跡をたどることができる。
 そして、この子どもの権利と、権利としての教育の思想こそが、戦後の憲法と教育基本法体制を支える思想の根幹をなすものであり、児童憲章を生み出す思想的原動力であったことには多言を要すまい。しかし、「子どもは人として尊ばれ、社会の一員として重んぜられ、よい環境のなかで育てられる」とうたっている憲章のことばに比して、現実には子どもの権利の侵害はおびただしい。子どもを公害から守り、交通事故から守り、ゆたかな環境のもとで、その成長がとげられるためには、子どもの「発達と学習の権利」思想が国民すべてのものとして定着し、より具体的に展開されることが求められている。
 国民の学習・教育権論を中心とする国民教育運動はもとより、子どもを守る会の活動や子どもと母親の権利の同時保障の観点にたつ保育一元化の運動、障害者教育運動と発達権の思想の深化、社会福祉協議会等による、施設の子どもの権利保障の努力の意義は大きい。さらに、子どもの学習権を軸にその論理を展開した杉本判決は、子どもの権利の思想とそれを定着させる運動のなかで、画期的な意義をもっている。日教組・教育制度検討委員会報告書「日本の教育改革を求めて」も、この系譜につながる集団労作である。

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