人権と子どもの権利

 子どもの権利の視点は、人権思想の展開のなかできわめて重要な意味をもち、人権思想の内実をゆたかにする視点である。すでにみてきたように、子どもにとっての学習権というのは、子どもの人権の中心であると同時に、その将来に亘ってその他の人権の実質的保障のために不可欠のものである。しかも子どもの権利を保障するためには、親の人権が保障されていなければならす、子どもの学習権が保障されるためには、同時に教師の権利、その人権と教育権も保障されていなければならない。

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 こうして、子どもの発達と学習の権利を中軸とする人権の構造化によって人権の社会的意味がとらえ直され、人権が古い世代をこえる新しい世代の権利を含むことによって、人権そのものに歴史的展開の可能性が開けてくる。そこでは人権は自然権的な権利だとして説明されるだけではなくて、その内容が、歴史性と社会性をもつものとしてダイナミックにとらえることが可能となる。
 もちろん、子どもの権利に、いっそうのリアリティーを与えるためには、教育と発達の科学、つまり子どもの発達の筋道を明らかにする科学が発達しなければならないし、そこで発達の内容を保障するものが具体的に明らかにされる必要がある。そして、そういう課題を含んで子どもの権利の視点は、現在の教育問題の中心的視点となってきている。しかも、このこと自体が人権思想一般にも大きな問題提起となっている。
 さらに、子どもの発達と学習の権利保障の観点は、民衆が文化の創造と発展の担い手となるという視点と固く結びつく。文化が民衆のなかに根づき、民衆が文化創造の主体となるということは、子どもや青年の学習権を軸とする国民の学習・教育権の思想が国民的基盤で根づくことと不可分の関係にあるのである。たしかに、学習の権利は、子どもの権利のなかで、とりわけ重要な意味をもつ。しかしそれは、子どもに固有の権利ではないことも自明である。
 人間は終生、知的探求の自由をもち、真実を知る権利をもっている。主権者としての国民は、この探求の権利の主体的行使によって、はじめて主権者としての実質を保ちうる。学問の自由は、なによりもます、国民すべての自由である。
 とすれば、子どもの学習権は、国民の学習権の最も原初的、したがって基本的な形態に他ならない。それゆえにまた、子どもの学習権が保障されていない社会で、国民の学習権の実質的保障はありえない。遂にまた、国民の学習権、真実を知る権利が保障されていない社会で、子どもの学習権が守られることはありえない。子どもと国民の学習権が保障される社会は、国民が主権者として実質的な政治的主体となり、同時に、「新しい世代の権利」を保障し、彼らに、古い世代を乗り越えることを期待しはげます社会に他ならない。

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