国民主義と国民の学習権

 わが国憲法は、主権在民の原則にたって、人権保障と平和の確保を中心理念としてかかげている。主権が国民にあるということと、国民ひとりひとりが自らの主人公として、自立した主体であることは不可分の関係にある。国民各自が、自立的、探求の精神の主体として、真実を学び、知る権利、学習権を日常的に行使する主体であってはじめて主権在民の実質も保障される。もしわれわれが、真実を知ろうとせず、与えられた情報に満足し、あてがいぶちの判断に身をゆだねるとすれば、そして国民が、政治への参加の権利(参政権)を、投票という非日常的な行動のなかにだけ見出すとすれば、そこには主権在民の実質はない。

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 権力支配は、愚民観と蒙昧主義のうえにはじめて可能である。今日義務教育は百パーセント近く普及し、すでに文盲は例外に過ぎないとされながら、しかし、実は、その十分な学校教育の機会のなかで、新たな文盲、政治的文盲がつくりだされ、そのことによって寡頭支配が続いていることを見逃してはならない。
 民主主義とは、つくられた多数の意見に盲目的に従うことではなく、国民ひとりひとりに自立した主体としての重い責任を課すものである。国民ひとりひとりが不断の学習と探求の主体であって、はじめて、国民主権の実質的担い手たりうる。国民主権と国民の学習、教育権は、車の両輪の関係にある。そして、学習と教育の権利が国民にあるというとき、それは、国民ひとりひとりが、真実を知る権利、探求の自由をもち、自ら自立的、理性的な主体たらんとする思想であり、そのような次代の主権者を育てようとする思想だといってよい。
 この意味において、国民の学習権とは、子ども、青年にとっては、人間的に成長、発達の権利と不可分に結びついた探求の自由を中心にし、成人にとっては、国民主権を担い、幸福追求の主体としての不断の自己教育の権利であり、それはさらに、学問の自由や報道の自由を、専門家の特権から解放し、学問の国民化、情報の国民化を要請するとともに、学問や情報に関する専門家の専門的自由、学問の自由、プレスの自由、に国民的根拠を付与し、同時にその社会的責任意識を明確にする視点を含む包括的な原理である。
 それは、端的にいえば、全国民の、その生涯にわたっての学び知る権利・探求の自由であり、あらゆる機会、あらゆる場所においての自由と権利が充たされるよう条件整備を自治体や国に要求する権利を含んでいるというべきである。

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