学校と教職員の責務と権限

 子どもは、今日、公教育制度のもとで、ある学校と学級の一員である。そして、学級と学校の全生活が、その発達と教育の場である。父母がその教育の責務を信託したのは、教育の専門家としての教師に対してであるが、それは直接的に個々の教師に信託したのではなく、その学校の教職員集団に対してであり、教育的環境としての学校に対してである。学校と教師は、この信頼と信託に応えるためには、その学年の教師集団はもとより、学校全体の教職員集団が一致して、子ども、青年の成長を保障する環境の整備と、人権と科学を軸とする自由な教育の創造に努力することが必要である。そのためには、各学年の教師集団や各教科の教師集団が形成され、それを中心とする全教職員の集団が民主的に組織されて、子ども、教育内容、授業実践についての研究成果や情報を交流し合い、研究と教育の力量を高め合うことがなによりも重要である。そのような教職員集団は、同時に、ひとりひとりの教職員の探求的、創造的実践の自由を保障し、これを励ますものでなければならない。

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 教師の任務が、子ども、青年の人間的発達を保障し、その学習と探求の権利を充足させることにあるのだから、教師は、教育内容・教材についての科学的知見をもち、同時に、子どもの発達についての専門的識見をもち、さらに授業や生活指導を通して、その発達を保障するための、不断の研究に裏打ちされた専門的力量が求められる。教師は、教育科学創造の担い手であり、同時に、その知見に裏づけられた教育の創造的な実践者でなければならない。それは子どもへの不断の再発見の道辺である。教師は真理の前で謙虚に、子どもの可能性の前で寛容であり、子どもの少しの変化も見逃すことなく、その発達の最近接領域と、それにふさわしい働きかけを工夫し続けなければ、教師としての責任は果せない。ここから必然的に、教師の教育研究と教育実践の自由が要請される。
 この自由は、最終的には、個々の教師に担保されているというべきであるが、しかし、すでにのべたように、教育研究は、教師集団での交流を必要とし、年間の教育実践のプランは、学年会や教科担任教師間の十分な話し介いによって立案されることが必要である。子どもは学級の一員であると同時に学校の一員であるのだから、教育課程編成権は、第一次的には、民主的に組織された職員会議にあるといってよい。しかし、このことは決して、学年ごと教科ごとの画一的教育内容を求めるものではなく、職員会議は十分な討議に基づいて、互いに、創造的実践を励まし合い、支え合い、交流し合い、高め合うための自由な討議の場であることが必要である。したがって編成権が教師集団にあるということは、教師集団の官僚的画一主義にくみするものでもなく、また、各教師の恣意的な教育実践を許すものでもない。自由で民主的で研究的な教師集団の形成が、子どもの学習権保障にとって不可欠なのである。そのうえ、ひとりひとりの教師は学校の教師集団のなかで、支え合うと同時に、さらに自主的に研究の機会を学校の外に求め、全国各地で広がり深められている教育実践と教育研究に交流し合うことが必要である。この成果が確実に職場に根づけば、それは教育実践の質を変え、職場を変える活力となる。したがって自主的研究への参加が処分の対象になるような事態は由々しいことたといわねばならない。
 教育課程の編成の責任と権限は、各学校の教師集団にあり、そこでは、職場を基礎に、不断の研究活動が奨励され、その創造的適用と実践の自由は、ひとりひとりの教師にゆだねられているというべきである。したがってまた、教師の教育実践の自由は、何をやってもよい自由ではなく、子どもの人間的成長を保障し、その発達と学習の権利を保障するという任務に基づいて要請され、そのことによって規定され、方向づけられた自由だといってよい。
 そしてこれらの教師の研究と教育の自由が保障され、教職員集団を活き活きとしたものにする体制が確立されるためには、職場に全職員による研究体制が確立され、ひとりひとりの創意ある実践と相互の助言によって集団の力量が高められ、職員会議が教師の意思決定の機関として位置づけられて、学校運営が民主化されねばならない。学校と教師の教育責務は、このような教師集団が形成され、教師が不断にその力量を高め合うとともに、学校が教職員集団の意思に基づいて民主的に運営され、父母との積極的な交流が保障されるなかで、その責務は果されるのであり、父母がその教育責務を学校と教師に信託したのも、まさにそのような教師集団の力量と、それを発揮できる学校運営の体制に対してであるといってよい。
 ここで改めて教師の研究と教育の自由、教育の自律性の原則は、父母の教育への発言権の保障とどう関係するかが、問題となる。
 今日、父母の教育への不信はつのり、その関心は、自分の子どもだけの、それもテストの点数と順位にだけ集中していた状況から大きく変わり、教科書内容や学校増設等の問題に確かな目を向けはじめている。
 教師は、これを面倒なことと思い、教師の教育権をふりかざし、逆に父母は親の教育権をふりかざし対立を深めているケースもある。しかし、そのいずれも、教育は子どもを主人とし、その発達と学習の権利を保障するために、親と教師が協同でその責任を果すのだという基本の考えを忘れ、教師の教育権限は、親の教育責務の信託にその根拠があること、親は、教師が教育の専門家であるが故に、その専門的力量に対して、自ら教育責務の一部を教師に信託したのだという関係を忘れているといってよい。親は、教科書や教育内容について、当然関心をもち、発言する権利をもっている。教師は、その要求に耳を貸し、その批判に学びながら、その不合理や問題点を指摘し、より質の高い合意をつくり出さねばならない。そして教育内容、実践への最終的責任と権限をもっているのは個々の教師に他ならない。それ故にまた、教師が教育の専門家としての力量を高め、教育的権威の確かな内実をつくる努力を続けなければ、父母の不満は解消しない。同時に、この矛盾はおそらくなくなることはありえないのであり、それ故に、父母と教師でつくる国民教育創造の課題はつねに課題としてあり続けるといってよい。

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