教育行政の責任と住民自治の原則

 教育は、子どもの人間的発達を保障するための、親と教師の共同事業である。それはまた地域住民の関心事であり、未来を担う新しい世代の成長を願う国民の共同事業である。教育は国の権力的統制と画一的支配から自律していなければならないが、同時に深く地域に根ざしていなければならない。教育にとって地域とは、人と人を結びつけ、人と自然を結びつけ、現在と過去を結びつけるものであり、このことを欠けば、子どもたちの成長、発達の根が枯れてしまう。

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 学校は地域ボスによって支配されるのではなく、地域住民の自治意識に支えられて、学校と教育の自律性と自由が保障されていなければならない。今日の教育が、住民の租税によって設置、運営されていることは、教育における住民自治に根拠を与えるものであり、教育を、父母、住民の、ひとりひとりの手にとりもどすことによって、公教育の「公」とは「おかみのもの」ではなく、「ひとりひとりのものであると同時にみんなのもの」という公の本来的意味をとりもどす、否つくりだすことが可能となる。子どもたちを公害や交通事故から守り、そのあそび場を保障するためには、あるいは保育所をつくり学校を増設し、そのための用地を確保するためには、住民の協力なしには不可能である。さらに、教育における住民自治意識の高まりは、学校を国民のなかへ開放し、地域の文化、スポーツのセンターとしてつくりかえていく基本的な力に他ならない。
 教育における住民自治の原理は、地域の教育行政を民主化し、教育委員会の公選制を求め、翼賛組織としてのPTAを、真に父母と教師の協力の組織へと脱皮させることを求める。
 教育行政は住民の意思を反映させた公選教育委員会の権限のもとで行なわるべきは当然だが、その任務は、教育条件の整備が不当な支配に服することなく、その自律性が保障されるように努めなければならない。そのためには、教育行政自体の不当な介入を謹むとともに、その障害を排除することに、積極的な役割を果さればならない。地域の圧力団体や、宗教団体、あるいは教員組合の介入も、不当な支配に当る場合がありうるからである。
 もとより教育の内的事項、外的事項、ないしは条件と内容の境界は明瞭ではなく、相互に深く規定し、影響し合う。したがって、教育条件の整備は行政の責任であり、行政の専断事項だとして、条件整備が独り歩きをはじめれば、それが結果的に教育実践の阻害要因になる場合が多い。たとえば、学校の実状と切実な要求に基づかす、行政の業績主義から、あるいはボスの売名の意図から、プールや体育館が建てられても、あるいはまた、教育機器の販売合戦のなかで、高価な機器が購入されても、それらは役に立たないばかりか、学校や学級運営の、授業実践の障害となる。教育の施設、設備、教材、教具は、どのような教育を行なうかという計画のなかで、その必要がきまるのであり、したがって、いわゆる条件整備は、行政の専断事項ではなく、その計画作成には教育の専門家たる教師、それと関係の深い事務職員の参加が不可欠であり、行政のあり方に、父母、教職員の要求が具体的に反映する組織が設置される必要がある。
 とりわけ、教育内容行政に関しては、教科書が検定によってチェックされ、教育実践が指導要領にしばられる現行制度は抜本的に改められ、教育課程編成権は各学校の教師集団に属し、教育内容の自主的・民主的編成の努力とその成果が生かされ、教育実践の自由はひとりひとりの教師に保障されて、教育の自律性を確立することがなにより大切である。同時に、教科書採択に際して、父母、住民の発言の揚が保障さるべきである。それは実践的には、すでに各地で始まっている。同時にまた、教育における住民自治の原則は、教師の教育権限の自律性を中心とする学校自治の原則を侵すものではなく、その自律性に基づく創造的な教育実践の自由を励まし、学校への権力的統制に抗して学校自治を真に保障する力とならねばならない。
 学校自治や教師の教育内容自主編成権ないしは教授の自由を認める場合に、その自治や自由の濫用についての一定の不安が残ることも確かである。さきの最高裁学テ判決は「教師間における討議や親を含む第三者からの批判によって、教授の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによって自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はない」とのべて、そこに国が教育内容に関与すべき根拠を求めている。
 自由の濫用に対する不安は、しかし、そのまま国の介入を求める論理につながるのではなく、教育内容を教師だけにまかせるのではなく、そのためには、まさしく国民的英知を結集できるルートとそのあり方を探ることこそ必要である。この不安は、今日のような中央教育課程審議会での審議、文部省指導要領、教科書検定そして教育委員会、校長の指揮監督、主任制導入等による学校管理体制の強化という方式では解決しない。時の権力の一方的な教育内容統制の危険と、それへの不安が今日広範に広がっているという事実が、従来の内容行政のあり方の破綻を示しているといってよい。むしろ、国民、親の素朴な、そして正当な不安に応えるためには、すべての子ども、青年に、国民的教養の基礎をどのように培うかという問題を軸にして、教育内容に関して国民的英知を結集する確かな筋道をつくりだし、それを組織的に保障するシステムをつくりあげることである。

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