教育の淵源としての国体

 天皇制国家は、大日本帝国憲法と教育勅語および軍人勅諭をその精神的支柱とし、天皇は、統治権の総攬者、統帥権の保持者として、政治的権力の王者であると同時に、皇祖皇宗の遺訓に基づく道徳の大本を指し示す精神的価値の体現者であった。
 天皇を国民道徳と国民教育の中心におくという発想は、明治の政治家の苦心の策であった。日本人としての自覚を中心とするナショナリズムをどのようにつくり出すかが、この時代のリーダーの共通の関心事であった。一身の独立と一国の独立、民権と国権の調和ある発展がゆきづまりを示したとき、民権はきりすてられ、国権を中心とする国民の統合がはかられてくる。

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 初代文相森有礼は、そのような時代思潮の先頭にいた。彼は伊藤博文に乞われて文相に就任するや、各学校合を制定して国民教育の基盤を固めたが、彼は「国民ノ志気ヲ培養発達」することこそ国民教育の課題だと考え、その「志気」のよりどころを「国体」に求めて、つぎのようにのべていた。
 「顧ミルニ我国万世一王天地ト与二限極ナク、上古以来威武ノ耀ク所未タ曾テータヒモ外国ノ屈辱ヲ受ケタルコトアラス、而シテ人民護国ノ精神忠武恭順ノ風ハ亦祖宗以来ノ激怒陶養スル所、未タ地二堕ルニ至ラス、此レ乃チー国富強ノ基ヲ成ス為二無ニノ資本至大ノ宝源ニシテ、以テ人民ノ品性ヲ進メ教育ノ準的ヲ達スルニ於テ信二求ムルコトヲ仮ラサルヘキ者ナリ」。
 「万世一王」の国体と「忠武恭順」の人民の「護国ノ精神」こそは、「一国富強」の「無ニノ資本」だというのであった。森は教育とその求める人間像をつぎのようにのべる。
 「教育トハ、教師等ノ薫陶二由リテ善良ナル臣民二成長セシムルノ謂ナリ、教育ノ主義ハ専ラ人物ヲ養成スルニアリ人物トハ何ゾヤ、帝国二必要ナル善良ノ臣民ヲ云フ、其善良ノ臣民トハ何ゾヤ帝国臣民ノ義務ヲ充分二足スモノヲ云フ、充分二帝国臣民ノ義務ヲ足ストハ、気質確実ニシテ善ク国役ヲ務メ、又善ク分二応シテ働ク事ヲ云フナリ」。
 森はまた、「学政ノ目的」は「専ラ国家ノ為メ」だといい、小学校から帝国大学までの「諸学校ヲ通シ学政上二於テハ生徒其人ノ為メエスルユ非スシテ国家ノ為ニスルコトヲ始終記憶セサル可ラス」とのべて、国民教育の基本が国家のためにあることを強調した。
 帝国憲法もまた、日本国家の存立の根拠を万世一系の国体に求めた。それは明治二二年の紀元節を期して発布されたが、伊藤博文はその権威ある注解書である「憲法義解」で「万世一系ノ天皇」について、「古典に天祖の勅を挙げて「瑞穂国是吾子孫可王之地宜爾皇孫就而治焉」と云へり。」と注釈した。このことは、万世一系の天皇統治の国体が記紀の神話に由来することを示すと同時に、その神々の物語を含めて、天皇制への恭順を要請するものであった。さらに、その翌年、国民教育の「淵源」として示された教育勅語は、「皇祖皇宗」の肇国の精神をたたえる一節で始まっており、権威ある注解書とされた「勅語折義」で、井上哲次郎は、これを復復杵尊から始まり神武天皇にいたる建国の神話で説明していた。
 このことからもわかるように、勅語を教育の中心として、日本人に国民としての自党を与え、忠君愛国の精神を植えつけることは、万世一系の天皇を、天孫降臨から神武建国の神話を含めて、その始原から理解させ、それを価値体系の中心として内面化させることであった。国民教育の中心課題はここに置かれた。勅語が浜発されると、芳川顕正文相は、その謄本を全国の学校に配布し、「凡ソ教育ノ職二在ル者須ク常二聖意ヲ半休シテ研磨薫陶ノ務ヲ怠ラサルヘク殊二学校ノ式目及共催便宜日時ヲ定メ生徒ヲ会集シテ勅語ヲ奉読シ且ツ意ヲ加ヘテ諒々海告シ生徒ヲシテ夙夜微服スル所アラシムヘシ」と訓示し、勅語の溶透、定着につとめたのである。
 明治国家にあって、国体は国民道徳の中心をなすべきものであり、それはヨーロッパ諸国におけるキリスト教に当るものとして意識的にもちこまれたものであった。明治一〇年代の終り、徳育をめぐる論議で、儒教主義の立場から論陣をはり、修身教科書の編纂に責任を負った西村茂樹のつぎの発言は、教育勅語体制の意味づけを知るのに参考になる。彼は「往事録」でこうのべている。
 「西洋の諸国が昔より耶蘇教を以て国民の道徳を維持し来れるは、世人の皆知る所なり、就中魯西亜の如きは、其国の皇帝と宗教の大教主とを一人にて兼たるを以て、国民の其皇帝に信服すること甚深く、世界無双の大国も今日猶君主独裁を以て其政治を行へるは、皇帝が政治と宗教との大権を一身に聚めたるより出たるもの亦多し、本邦には世界無双の皇室あるに、是を徳育の基礎とすることを知らずして、教育者紛々擾々各其知る所を主張するは誤れるの甚しき者なり、余因て、皇室を以て道徳の源となし、普通教育中に於て、其徳育に関することは皇室自ら是を管理し、知育体育の二者を以て文部省に委任する時は、徳育の基礎固定して人民の方向亦定まり、皇室は益々其尊栄を増すべし。」
 教育勅語体制とは、西村のいうように、天皇を「道徳の源」とし、森のいうように「国体」を「無二の資本」として、国民道徳の中心に据えた国民道徳涵養のための方式に他ならなかった。
 それでは、教育勅語はどのような意味で教育の最高規準と考えられたのであろうか、それは君主のありがたきおことばに止まらなかった。
 憲法学者穂積八束はその性質を「国民道徳に関する講演」でつぎのようにのべた。「教育の基礎は教育に関する勅語に在ることは言うまでもないことでございます。然しながら教育に関する勅語は唯古の聖賢の教義などと同様の性質のもののように思い、其の国法上の効力を感得して居らぬ者も世間にはないでもありませぬから、第一に此の勅語は教育の大方針を決定したる所の国家大権の行動に出でて居るものなることを明かにせねばならぬのであります。国を統治し給う大権の行動のIとして此の勅語が出て居るのでありまして、比較することは畏いことでありますが聖人賢人が世の人を導く為に書物を公けにするとか、金言を述べて後世に遺す類のこととは全く其の意義を異にして居る。」
 国民の内面の領域に君臨する教育勅語は、天皇の統治大権の行使として出されたものだとして、その国法上の位置を説明している。これは、当時の立憲思想の風潮のなかで、「勅ともすれば、憚ち曰く、「臣民は法律今今に依りて、主権に服従する義務あるも、法律命令に依らざれば、此の義務なし、教育の勅語何する者ぞヒといった考えがみられたのに対する憲法学者の回答でもあった。そして、さらに、たしかに教育勅語は、それ自体は法規ではなかったが、「教育勅今や命令に、その趣旨に則るべきことが定められたことに基づいて、結局はその内容は法規的効力をも有するものとされていた」のである。

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