義務教育の概念

 わが国の学校制度は、一八七二年の学制にはじまり、森有礼文相の各学校今に基づいてその全体が構築され、さらに、一八九〇年の教育勅語および小学校令の改正によって、天皇制教学体制の原型が構築された。
 学制および教育令においては、就学奨励はなされたが、法制的な意味での義務制とはいえず、「強迫」教育としての義務制は一八八六年の小学校令からであった。義務教育は、戦前の教育行政関係書では、つぎのように説かれていた。
 「教育ハ単二人類各自ノ性能ヲ成長セシメ、以テ各自ノ要求二適合セシムルノミヲ本旨トセズ、其主眼ハ、国家生存ノ為二臣民ヲ国家的二養成スルニアリ。然ラバ如何ナル方向二於テ之ヲ養成セバ国家的臣民トナリテ我帝国ノ臣民タルニ適合スベキカ、吾人ハ之二答ヘテ「無窮ノ皇運ヲ扶翼スル忠良ノ臣民」ヲ作ルニアリト云ハントス。何トナレバ此ノ如キ忠良ノ臣民アリテ始メテ国家ノ生存発達ハ望ミ得ベケレバナリ」「臣民ヲ強迫シテ其児童二教育ヲ受ケシムルノ義務ノ程度ヲ規定スル標準ハ、内ハ国家ノ状態ト臣民生活トヲ考へ、外ハ交際各国ノ情況ヲ弁ジ、而シテ全国一般ノ人民ガ此程度ノ智能ヲ有シ得レバ、内外二対シ国家ノ生存ヲ保全シ得ベシトノー点ヲ採テ定ムルモノトス」。
 したがってまた、このような就学義務は、親の子に対する義務ではなく、国家に対する公法上の義務と考えられた。「此義務タル権利関係ョジ生ズルモノニ非ズ国家及臣民ナル不対等者間二於ケル権力関係ヨリ生ズルモノニシテ国家ハ命令シ臣民ハ服従セザル可カラザルモノナジ」、したがって、「就学セシムル義務ハ児童二対シテ負ズ非ズシテ国家二対シテ負フ」ものとされた。保護者の就学義務は、子どもの権利に対応する義務ではなく、臣民としての国家への服従の義務に他ならないのであり、ここには天皇制国家のもとでの義務教育思惟が典型的に表現されているといってよい。
 そして、このような教育行政法上の解釈は、民法の親権解釈と対応していた。たとえば、穂積重遠は親権が親義務と解される動向を意識しつつ、つぎのようにのべる。
 「従来は親権を権利の方面から観察したが、今後はむしろ親義務として義務の方面から観察した方がよいと思ふ。さう云ふと直ぐに、それでは養ひ育てて貰ふのが子の権利と云ふことになって面白くない、と云ふ批難があるかも知れぬが、義務者に対応する受益者が必ず権利者であると考へるのが抑も囚はれた話で、親が子を育てるのは、子に対する義務と云はんよりは、むしろ国家社会に対する義務と観念すべきである。」
 ここでも就学義務を公法上の義務としてとらえることによって、子どもの権利の観点をしりぞけているのである。こうして教育は、兵役、納税と並ぶ、国民の三大義務の一つとして意識され、教育を通して、そのように教えられてきたのであった。

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 明治憲法のもとでは、教育は天皇大権の一つとして、天皇は国家の手に握られ、教育勅語を頂点として、国民道徳の形成を主眼とする国家主義教育が支配的であった。そこでは、教育に関する事項は、議会の意思を越えて(超然主義)、勅令(天皇の命令)をもってその方針が定められていた。たとえば、小学校令、あるいは大学今によってその基本的あり方が決まっており、それはその名称が示すように、議会を通して法律として提示されたのではなく、天皇の命令として公布された。もちろん、天皇の命令というのはあくまで一つの擬制であり、実際には、教育に関する事柄は、枢密院を中心とする元老たちや、軍部、官僚の手に握られていた。
 教育における命令主義とは、て殷には教育が法律に基づかず、行政命令の形式において行なわれるということであり、それは教育の官僚支配を意味するものであった。命令主義の原則は、帝国憲法から教育条項が除かれたときに原則的に確認され、一八九〇年の小学校令改正に際して、法律主義採用の主張をしりぞけて再び勅令の形式がとられたときに、命令主義は決定的となったといえよう。
 教育行政観もまた、国権主義に強く支配されていた。すなわち、教育行政は内務行政の一部として、治安対策的発想が支配的であった。そして、学校教育もまた権力的行政の一部と考えられる傾向があり、いわゆる教育と教育行政との区別が、法理論的に問題にされておらす、学校教育もまた権力作用と解されることが通説であった。美濃孫達吉などのように、それを非権力的性質においてとらえようとする説は異説とされた。
 教育内容行政のあり方にも著しい特徴があった。教育の目的や内容にかかわる事項(内的事項)は天皇、国家の直轄事項であり、教育条件の整備や管理運営(外的事項)は地方官庁の任務とされ、学校は営造物として行政による管理に服し、学校には特用捨力関係が成立し、教師は校長の、校長は視学の統制に服することが求められていた。それは法律によらない教育の権力支配であり、その行政的慣行は、国家統治の法としての行政法の一部ではあっても、教育の本質と条理に基づく固有の意昧での教育法の存立する余地はなかったといえる。
 教育内容は、修身を筆頭教科とし、教育勅語の徳目の注入による国民道徳の涵養をその中心的任務とするものであり、教科書は一九〇三年以来国定教科書として、強い統制のもとにおかれていた。そこでは、教育と学問の自由、総じて精神の自由は無視され、人間のひとりひとりの多様な可能性の開花はおしとどめられたのであった。

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