教育勅語の処理問題

 戦後教育改革の理念は、そのまま教育の現実ではない。それが古いものの否定の上に定立されたものであれば、古いものは新しい装のもとに何とか生きのびようとすることも必至である。現実は古いものと新しいものの葛藤をふくみ、現実と理念は矛盾をはらんで歴史を進行させる。われわれが戦後の教育と法の動態を知るためには、戦後改革を境とする戦前と戦後の連続と断絶の問題についてまずふれておく必要がある。
 憲法的次元をみれば天皇主権から国民主権への転換に明白なように、そこには明らかに断絶がみられる。八・一五革命といわれる所以である。さらにまた、その転換をもたらした主体は、戦前と戦後を民主主義への志向において結節させる主体でもある。にもかかわらず、政治の機能と社会の体質の面で戦前、戦後は連続している面も少なくない。
 天皇制に関しても、あくまでその温存に固執し、その執念に象徴天皇制として形を与え、憲法に国民主権の表現を明示することをなんとかして拒もうと努力した支配的勢力が、そのまま権力の座にあり続けているという事実のなかに、その連続性の系譜をみてとることは容易である。

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 教育勅語体制は、教育改革の過程で一挙に否定されたのではなかった。それは、教育勅語の処理をめぐる論議に示されているように、戸惑いと思惑のなかで、少しでも傷つくことの少ない仕方の模索の過程でもあった。教育勅語は、天皇制と不可分のものであった。そして、戦後問題を処理した支配者の第一の眼目は、敗戦という事態の中でなんとかして、国体を護持し、天皇制を守ることにおかれた。他方、連合軍は、天皇の戦争責任をめぐる論議の末に、アメリカのイニシァティブのもとで、占領政策の遂行を有利に導くために天皇制を利用する方針を選び、天皇の戦争責任を問わず、それを国民統合の象徴として非政治化することを通して、その客観的な政治効果を最大限に利用した。
 このような占領軍(アメリカ)および支配者層の意向のもとで、敗戦から米国教育使節団報告書が出されるまでのいわゆる、禁止的措置の時期に、超国家主義教育と軍国主義教育を否定するための措置が、教育行政のあり方や、教員の資格、教育内容等について、矢継ぎ早に出され、その中で国家と神道の結びつきも否定されるのであるが、しかし、教育勅語については、何ら公的処置はとられなかった。そして、米国教育使節団報告書においても、「勅語勅諭を儀式に用ひることと御真影に敬礼するならはしは、過去において生徒の思想感情を統制する力強い方法であって、好戦的国家主義の目的に適つてゐた。かやうな慣例は停止されなくてはならぬ」とだけふれられており、勅語それ自体については、きわめて慎重な態度をとった。
 天皇制を温存しようとする支配者層の勅語への対応も、一般的にいえばきわめて慎重であったが、それを四つのタイプに分けることができる。
 その一つは、教育勅語の有効性の主張であった。自由主義者として戦後教育改革の責任を担って登場した前田多門文相は、敗戦間もなく「青年学徒に告ぐ」と題する放送のなかで、「諸君は今回の大招喚発につき、不幸な出来事のうちにも、国体の有難さを見出したであらう。聖断一決、国民は立場と意見の相違を捨てて、みな一気に承招必講の実を示した」とのべ、新教育方針中央講習会では、教育界からの「軍国主義と極端狭脇なる国家主義」の一掃と「道義昂揚」を説き、「絃に於て吾人は絃に改めて教育勅語を講読し、その御垂示あらせられし所に心の整理を行はねばならぬ」とのべた。
 前田多門に続いて文相となった安倍能成は、地方長官会議で、「世上多少の疑義があるが、教育勅語を日常の道徳規範に仰ぐには変りない」とのべ、またラジオ放送を通して、「皇室は国民生活の中心であり、われわれは終戦、新年の勅語を拝し、国民とともに新国家を建設しようとする天皇の思召に心をうたれる」とのべた。
 安倍能成に続く田中耕太郎文相もまた、教育勅語の有効性を強調して、新しい勅語奏請の動きを抑えた。そして、「教育勅語には、古今に通じて謬らず中外に施して悸らざる人倫の大本」が盛られているとのべ、勅語の徳目の自然法的性格を強調した。
 天野員祐も、教育の根本理念と教育勅語の取り扱いを討議した教育刷新委員会で、「勅語は日本人の道徳の規範として実に立派なもので、廃める必要は全然ない」とのべ、この観点から、新しい勅語が不要であると強調した。
 教育勅語に対する第二の対応は、新しい時代にふさわしい新たな勅語奏詩論である。その代表的なものは、米国教育使節団に協力するためにつくられた日本側教育家委員会にみられる。委員会の報告書には教育勅語に関する意見として、つぎのように記されていた。
 「従来の教育勅語は天地の公道を示されしものとして決して謬りにはあらざるも、時勢の推移につれ国民今後の精神生活の指針たるに適せざるものあるにつき更めて平和主義による前日本の建設の根幹となるべき国民教育の新方針並びに国民の精神生活の新方向を明示したもう如き詔書をたまわり度合こと」、さらに、新しい詔書では、「徳目の列挙を避け」「陛下より御命令になる如き御言葉は切に避け」「陛下御自ら民に先んじて国の将来を御憂惧せられ教育に対して絶大の御信頼を寄せたまう御旨の十分溶み出たものをいただきたし」とあり、記述方法について、「極めて平明で人々に親しみ深い形を以って、若し出来るならば口語文体をもって御示し下さるを望む。」
 この日本側委員会は、南原繁東大総長をはじめ、当時の代表的知識人によって構成されており、占領事の意向に従ってではなく、日本人の主体性において教育改革にとりくむことを目指していた。
 芦田均も新しい勅語の必要を説いた、「日本国民統合の象徴という地位は、精神的の指導力を天皇がもって居られるということを認めていみ」「日本国民の精神的な一つの中心、そういう意味において勅語を賜るということは憲法の精神に反しない」「憲法発布の勅語をよませる。日本国民は憲法を理解しないから、簡潔な言葉でいいきかせた方が順に入る。日本で一番人気のあるのは天子様ですから、その形をかりるのは差支えない」と。新憲法と矛盾なく結びつく勅語奏請の論議に、本質的に反民主主義的な、反憲法的な感覚と愚民観をみることができよう。
 第三の対応は、教育勅語の失効言を新しい勅語によって行なうことを主張する。たとえば森戸辰男は、勅語の内容が、「封建的な原理」によっており、「民主国家の建設に於ては根本精神が全くそぐわない」とのべ、「教育という重大なことも国民が至高の意思を以て決定すると云うことが、憲法に副うて居る」とのべて教育勅語を批判した。しかし、森戸辰男は、「保守層の教育界に及ぼす力を弱めるという効果」を考えて、新しい時代にふさわしい教育のあり方を示すために、教育勅語を否定する勅語の奏請を考えた。「従来のような勅語を戴くということは時代として困る。其の教育の精神は新しい国柄に基かなければならないということも勅語の中に云っていただければ、従来の教育勅語が善いとか悪いとかいうことはなくなって新しいものになると一番なだらかではあるまいか」。森戸辰男は、教育刷新委員会では、務台理作とともに、教育民主化のために重要な役割を演じたのであるが、なお、勅語から自由ではありえなかったのである。
こ れらの見解を背景として、教育基本法の議会審議の過程で、基本法と勅語との関連についての質問に答えて、高橋誠一郎文相はつぎのように答弁した。「私も教育勅語とこの教育基本法との間には、矛盾と称すべきものはないのではないかと考えている」、しかし、「徳教は時勢と共に変化するもの」であり、また、「従来教育勅語の解釈について悪用せられた」点もあったので、「諸学校においては奉読いたさないことにいたす。こういう考えでおるのであるが、決してこれに盛られておる思想が全然誤っており、これに代えるに新しいものをもってするという考えはもっていない。」
 文相の勅語についてのあいまいな見解は、さきに、同じ文相が国民の意思に基づく教育のあり方を説いた教育基本法立法趣旨の明解さとは著しく対鱈的であった。そして、勅語問題に対するこのような政府の矛盾を含んだ対応には、当時の多様な見解が反映していたといえよう。それは、改革の直接の責任者たちが、国権の最高機関としての議会の意思に基づく教育のあり方を、不可避の前提として受け入れ、これと明らかに矛盾する新しい勅語奏請要求を、旧勅語の有効性を説くことによって抑え、教育勅語がたとえ形式的に無効になっても、その内容の有効性を説きつつこれをなしくずし的に処理し、勅語の権威の失墜を最小限にとどめようとした努力のあらわれだといえよう。

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