民主化の行き過ぎ是正

 一九五一年には政令改正諮問委員会を設け、戦後民主主義の行き過ぎ是正が始まったが、教育についても、発足したばかりの新学制に対して、批判が加えられ、逆コースへの軌道修正が始まった。そしてその一つとして、愛国心教育の復活に熱意を示し始めた。
 天野貞祐は、一九五一年一一月、文相として「国民実践要領」を作成し、直轄学校への配布を企図した。天野良祐は、これを作成した由来として、現在は個人と世界とを重視するあまり、ややもすれば国家存在理由が薄くなる傾向を免れないのはいずれも中正な思想とは考えられないとのべ、天皇の敬愛を中心とする国民道徳の規準を示そうと企てた。国民実践要領には、国家はわれわれの存在の母胎であり、倫理的、文化的な生活共同体であり、国家生活は個人が国家のためにつくすところに成りたつとあった。しかし、この案は、国会の各委員会で参考人の批判をあび、世評もこれを天野勅語と呼んで不評であった。天野は在任中、この発表は差しひかえざるをえなくなり、五三年一月、退官後にこれを私人の意見として発表した。

スポンサーリンク

 この頃吉田茂首相は国会で「終戦後の教育改革については、わが国情に照らして再検討を加へるとともに、国民自立の基礎である愛国心の涵養と道義の昂揚をはかる」とのべ、教育改革の軌道修正の意向とその方向を示した。
 その翌年に行なわれた池田・ロバートソン会談は、平和教育の否定、再軍備の推進のための愛国心教育の必要を強く求めるものであったが、同時に、それは対米従属の愛国心としての矛盾をもはらんでいた。
 会談覚書には、「占領八年にわたって、日本人はいかなることが起っても武器をとるべきではないとの教育を最も強く受けたのは、防衛の任に先ずつかねばならない青少年であった」と再軍備のための政治的、社会的困難を分析し、さらに、物理的制約として、国の安全を托する部隊に、有象無象誰でも入れるというわけにはゆかない。しかも前に述べたいわゆる平和教育の結果として、自覚して進んで保安隊に入る青年の敬は非常に限られている。更に、保安隊の増強を性急にやる結果は、思想的に不良な分子が潜入する危険を防ぎ難い。共産主義にとって、自由に武器を持ってそして秘密を探るのに、これほど適した職業はないからであるとのべて、性急な再軍備はかえって危険だとの見解を示し、アメリカ側の日本再軍備化の要請に応えるためには、その障害を除去し前提をととのえる必要があることを確認し、そこで、会談当事者は、日本国民の防衛に対する責任を増大させるような日本の空気を助長することが、最も重要であることに同意し、日本政府は、教育および広報によって、日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものであるという覚書を交わした。こうして、愛国心の教育はアメリカの要請をバックに、日本の再軍備化と不可分に結びついていたため、必然的に平和教育の否定を主たる内容とすることになった。
 同じ頃来日したニクソン大統領は、平和憲法は、アメリカの対日政策のミステイクであったとのべた。日米の首脳には、平和教育は、憲法改正と再軍備を阻む大きな障害として意識され、それに代わる愛国心の教育が求められた。こうして、戦後の愛国心は伝統的国体への志向とともに、反平和主義、親米、反社会主義的性格づけを与えられて復活してくる。
 さらに、その翌年に強行された教育の中立性に関する法律の立法化は、教育と国家の関係の転換を求め、教育の中立性の意味転換を図るものであった。憲法、教育基本法休制のもとでの教育の政治的中立性とは、教育の自律性の原則と一体のものであり、それは、国家が学説をもたす、価値観から中立であるべきことを求める原理であったのに対し、そこでは、国家こそが公正の保持者として、何がその公正から偏向しているかを裁く立場に立ったことを意味するものであった。その後は、この基本線にそって、教育行政のあり方に、国家主義と管理統制主義が復活し、憲法、教育基本法体制の空洞化がおしすすめられていく。
 そして一九五五年には、教育三法案が提出された。このいずれもが教育基本法体制に対する実質的な改変を目指すものであったが、それにとどまらす、臨時教育制度審議会法案の提案に際して、清瀬一郎文相は、「教育基本法の再検討」の必要をあげ、その改正の方向をつぎのようにのべた。「第一の方向は教育目的に関する反省でございます。今日反省してみますと、たとえば国家に対する忠誠ということがどこにもないのです、いかに民主国といえども、国を作っておる以上国に対する忠誠心を鼓吹すべきものであろうと忠います」。文相は、さらに、「教育の基本において足らぬところがある、この基本法の一条をですね、教科書編さんの基準の絶対要件にしているんです。それからまた教育指導要領の絶対要件にしているんです」とのべ、教育内容に対する国家の責任を明らかにし、その内容を、教育基本法の目的にしばられることなく、国への忠誠心を中心に方向づけることの必要を強調していた。
 こうして、教育基本法、とりわけその一条(教育の目的)および一〇条(教育の自律性と教育行政の限界規定)の実質的変更を中心とする教育三法が提案されたが、しかしこれらはいずれも世論の激しい批判を浴び、南原繁、矢内原忠雄、大内兵衛、上原専禄ら、一〇名の学長の反対声明も出された。また参議院内間文教委員会連合審査会に参考人として出席した矢内原忠雄東大総長は、「教育基本法によって民主主義的な人間の人格、観念を養成するということが最も急務であり、それに基いて、あとは特に言わなくても、親に孝行、国に忠誠ということが自然にでてくることである。そういうことで教育基本法は維持されて参りました」とのべ、清瀬一郎文相の「民主主義プラス何かが必要だ」という発言には、戦争前の国家主義が顔を出しており、非常に危険を感じるとのべて、基本法の理念の変更に反対した。さらに国民各層の反撃の前に、三法案のうち地教行法のみがかろうじて国会を通過、あとは廃案となった。
 機動隊に守られて成立した地教行法は、旧教育委員会法を改め、公選制教育委員会を任命制にしたものであり、これによって教育の地方分権主義は放棄され、地方教育行政は中央教育行政に従属的にくみこまれ、教育における官僚統制が進行することとなった。この時の改正で、旧教育委員会法第一条の、「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自党のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け」るという教育基本法一〇条をそのままくり返した条文が姿を消したことは、象徴的な意味をもっていたといえよう。この地教行法は、中立性二法とともに、教育基本法の実質的改正の動きだったのである。そして、この法律に依拠して翌年から教師の勤務評定が実施され、教育行政の正常化、即ち中央直結の教育行政への再編がすすめられる。また、一九五八年には学習指導要領が改訂され、それに法的拘束力が付与されることとなった。これは、従来、教育課程は教師自らが責任をもって決定すべきであり、指導要領はその手びきであり試案に過ぎないという性格から、今後は一種の法律として、それに従って教科書をつくり、それに従って授業が行なわれるべき強制力が付与されたことを意味していた。
 その時、同時に教科書検定規準もさきの清瀬一郎文相の発言の方向で変更された。それまでの絶対規準には、教育基本法及び学校教育法の目的と一致し、これに反するものはないか、たとえば、平和の精神、真理と正義の尊重、個人の価値の尊重、勤労と責任の重視、自主的精神の養成などの教盲目的に一致し、これに反するものはないかとあったが、このときの改訂によって、たとえば、以下が削除され、教育基本法に反しない、というお題目だけが残された。教育基本法は、文字どおり棚上げされたといってよい。こうして、前年に、廃案となった教科書法案のねらいは、その後の行政措置を通して実現されていった。

子どもの発達と子どもの権利/ 新教育と子どもの権利/ 子どもの権利の構造/ 日本での子どもの権利の歴史的背景/ 子どもの権利の内容/ 子どもの権利は誰が守るか/ 人権と子どもの権利/ 学習権の問題/ 権利としての学習権/ 市民の学習権/ 住民の学習権/ 子供と青年の学習権/ 報道の自由と国民の学習権/ 学問の自由と国民の学習権/ 国民の教育権と学習権/ 問題としての教育権/ 国民主義と国民の学習権/ 子どもと青年の学習権/ 親の教育義務とその信託/ 学校と教職員の責務と権限/ 教育行政の責任と住民自治の原則/ 教育基本法体制/ 教育の淵源としての国体/ 学問教育の自由/ 義務教育の概念/ 教育基本法の成立/ 憲法と教育基本法/ 教育の目的/ 争点としての教育目的/ 教育行政の理念/ 教育基本法体制成立の意義/ 教育勅語の処理問題/ 地方自治原則の位置づけ方/ 戦後教育改革の抽象性/ 民主化の行き過ぎ是正/ 期待される人間像と教育基本法/ 国民教育運動の展開/ 学力テスト判例の蓄積と最高裁判決/ 戦後日本での法と教育の特殊性/ 教育固有の価値と教育法/ 人権の歴史性と普遍性/ 教育の自由と権利の展開/ 人権中の人権としての学習権/ 教育認識の発展と教育条理/

       copyrght(c).子育てと育児.all rights reserved

スポンサーリンク