国民教育運動の展開

 戦後教育の歴史は、一方的な反動化ないし逆コースの歴史ではない。むしろ憲法・教育基本法の精神の定着化とその発展をめざす教育運動は進展し、そのなかで、憲法・教育基本法体制の歴史的意義についての認識も深められ、その法律的解釈も深化してきたのであり、それ故、反動もまた、激しさをまし、教育基本法体制の再編成を求める圧力も強まっているというべきであろう。
 ところで、一口に国民教育運動といっても、今日では、それは、教職員運動、父母の教育への参加、市民、住民の学習運動、労働者の自己教育運動等、多面的な活動領域を含んで発展している。そしてそれらの中心をなすものが、教師たちの自主的研究に裏づけられた日常の教育実践そのものだといえる。そして、それを可能にし、それを支えるものは、職場の内外の無数のサークルや、研究会での実践交流、相互批判と援助である。

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 さらにこれらの教師運動は、職員との連携はもとより、父母との交流・連帯のなかで大きく前進し、父母の教育関心も、PTAの民主的改革、地域での教育懇談会等々の拡がりのなかから、教科書批判、教科書採択への発言権の獲得、あるいは高校増設や学校の施設へのさまざまな要求を組織する運動として発展し、国民教育運動を推進する大きな力となっている。
 また、公害や地域関発反対にとり組む地域住民の運動は、それ自体が市民の自己学習の機会であり、職場での労働者の自己教育と合わせて、その生涯にわたっての自己教育の権利が自党されてきている。
 こうして、国民教育運動は、教師の研究運動とこれに支えられた教育実践を中核とし、教職員、父母、労働者、地域住民との連帯を拡げるなかで、これらすべてを含んで発展している。それは国民の不断の自己形成への努力であるとともに、若い世代の教育に対して国民自らが責任をもとうとする自覚のあらわれであり、それはとりもなおさず、国民教育の主体形成の過程でもあった。そして、このような意味での国民教育運動は、国民主権の内実を支え、民主主義を真にその名に値するものとして根づかせる運動でもあった。
 とりわけ一九五五年前後を一つの境とする教育体制の再編過程は、教育現場にさまざまな困難をもたらし、上からの統制に対する抵抗は必然的であり、その緊張は物理的な衝突を生み、これらの事件は、法廷においても争われ、裁判闘争を通して、弁護団、法学者、歴史学者、教育学者、教師、父母の協力のなかで、教育権理論も深化・発展していった。父母、教師を含む教育法学会の結成は、さらにその飛躍をうながすものであった。
 さて勤務評定、学カテスト、教科書検定をめぐる争いは、いわゆる教育裁判の中心をなすものであるが、これらをめぐる法廷での争いは、教師の労働基本権の確立への闘いとともに、教有権の所在とその構造を明らかにする上で大きな意味をもっている。
 なかでも、教科書裁判および学カテスト裁判は本格的な教育検論争に発展し、その憲法解釈が問われることとなった。そして、宮永三郎教授の教科書裁判に対する東京地裁杉本判決は、子どもの学習権論を中軸として、国家教育権説を明確にしりぞけるとともに、子どもの学習権に対応して「子どもを教育する責務を担うものは、親を中心とする国民全休である」とのべ、さらに、この国民の責務は、具体的には教師への信託を通して果されるのであり、教育の内的事項については、政党政治を背景とした多数決によって決定されることに本来的にしたしまないものだとし、教師が国民全体に直接に責任を負ってその任務を乗すために、教師に対して研修に裏づけられた教授の自由、教育の自由が要請されるとし、教育行政は指導、助言を旨とし、その責任は教育の条件整備を中心とする外的事項にとどめるべきことを示した。この判決は、憲法、教育基本法の立法者意思に則し、かつまた戦後民主教育の運動と理論を反映させ、教育法学の通説にかない、世界の教育動向にも合致するものであった。
 しかし、文部省(国)は、この判決を不服として直ちに上告し、東京高裁で争われることとなった。この間、同じ事件にかかわる損害賠償請求訴訟に対する判決も下された。この判決は、原告の主張を一部認め、国に損害賠償一〇万円を支払うことを求めたものだが、その判決理由は、国の教育内容への介入を認める不当なものであった。
 そこでは、現代国家は福祉国家であり、教育の実施普及は公共の福祉中最重要なものの一つだとし、現代公教育においては教育の私事性はつとに捨象され、これを乗りこえ、国が国民の付託に基づき自らの立場と責任において公教育を実施する権限を有するとのべ、また教育基本法一〇条解釈として、議会制民主主義のもとでは国民の総意は国会を通じて法律に反映されるから、国は法律に準拠して公教育を運営する責務と権能を有するというべきであり、その反面、国のみが国民全体に対し直接責任を負いうる立場にあるのであるとのべ、第一〇条の国民全休に対して直接責任を負うという立法の趣旨が、教師の教育権の自律性と、教育の地方自治原則にあった点を無視する解釈を行なった。
 しかし、この高津判決においても、子どもの学習権を自然的権利として認め、また、不当な支配には不当な行政権力的行為も合まれるとのべ、検定についても、検定当局は、事に当るに厳正中立を旨とし、恣意にながれ、あるいは教育的配慮を強調する余り、必要以上に著作者の表現の自由を制限する結果とならないよう厳に戒心すべきはもとより、本来教科書検定は教科書として不適合な図書を排除するという、いわば消極的使命を本質とするから、表現の自由に対する関係では謙抑的態度を持すべきであるとのべている点は注目しておいてよい。
 つづいて、杉本判決の上訴審として争われた第二次訴訟は、一九七五年回一月二〇日、東京高裁、畔上裁判長のもとでその判断が示された。それは、検定処分が「検定基準の定めによらず、裁量の範囲を逸脱し、かつ、前後の一貫性を欠く気ままに出た行政行為であるといわねばならない」とのべ、検定不合格処分は取消を免れないとして、「控訴を棄却」、宮永利の勝訴を認めるものであった。この控訴審によって杉本判決は訴訟費用負担の部分を除いて基本的に維持されているといってよい。但し、この畔上判決は、検定行為を特許行為の一つとみなした点は問題であり、また、憲法、教育基本法についての判断を回避した点は国利および宮永利双方に不満を残したが、しかし、判決は、憲法、教育基本法をもち出すまでもなく、検定が自らの定めた規準に照らしても、その運用が不当に行なわれたことを認めたのだから、文部省の教科書検定のあり方に対しては厳しい判断を示したことになる。この点に注目したい。
 こうして、教科書検定についての二つの訴訟は、一審の杉本判決・高津判決、二審の畔上判決と、その理由に差異はあれ、いずれも、現行の検定行政に不当、行き過ぎた点のあることを認めたのであり、このことは、検定行政のあり方に反省を求め、その行き過ぎに一定の歯止めをかけるものであった点は重要である。

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