人権の歴史性と普遍性

 人権保障を中心とする近代憲法は、その原理として国民の思想、信条、表現の自由、真実を知る権利、学ぶ権利を保障することによって、人権そのものを歴史的に発展させる契機をその原理のうちに内在させていた。そして憲法そのものも、人類の進歩とともに変化、発展する。
 人権の原理を、人類普遍の原理として宣言したフランス革命期の憲法と人権宣言に対しても、コンドルセは、立法議会での公教育についての報告のなかでこう書いている。学校では、「憲法も、人権宣言さえも崇拝し、信仰しなければならない神からの賜わり書として提示せられることはないであろう。そして、国民には次のように述べることができるであろう。諸君が生命を賭してまで保持しなければならないこの憲法も、永遠の真理を認識するために、諸君が幼年時代に学んだ、自然と理性とによって記された簡単な原理の発展にすぎないものである」と。この視点はまた公教育に対する政府の統制に対する批判の視点でもあった。彼は、「政府によって与えられる偏見は、真の暴政であり、自然的自由のうちのもっとも貴重な部分の一つに対する侵犯である」とのべている。
 わたしたちは、近代憲法や人権宣言の類を、それぞれの歴史的規定性においてとらえ、それを乗り越える可能性を見出すことが必要である。しかし、このことは、近代憲法を単純にブルジョワ憲法ときめつけて退けることによってではない。そこでの人権条項に人類が苦闘のなかで歴史的に闘い取った価値や理念を読み取り、人権の思想を、時代の限定にもかかわらず、それを越えて生き続けうる、いわば「未来へと聞かれた普遍」としてとらえ直すことによってである。
 ひるがえって、わが国憲法をみれば、そこでは、基本的人権の本質をつぎのように規定している。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。
 ここには人権の原理の普遍性への強い信頼が読み取れる。このことは何を意味するのだろうか。
 一八世紀の人権の世紀から三世紀を経て、世界の一角に社会主義革命が実現し、さらにファシズムに抗する世界の人民の歴史的闘争の重みが、人権に対する幅広い世論と強固な信念を形成した。第二次大戦後の民主主義と社会主義の高揚期という国際的環境が、平和憲法を生み出す客観的条件であったことは間違いない。そこには、まさに人類の人権と平和への闘いが反映している。そして、この間の人類の人権闘争の歴史的経験とその総括が、ますますその原理の普遍的意味を確信させるに至ったといえよう。

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 人権宣言を含む近代憲法が、基本的にはブルジョワ憲法として歴史的に規定されるにせよ、その人権、権利と自由の本質的な部分は社会主義憲法のなかに引き継がれていることが、このことを如実に物語っている。
 国民の自由の観点で、社会主義国の現実になお多くの問題が残っているとしても、社会主義においてこそ民主主義は真に徹底して息づくものだというレーニンの見解が、社会主義国において、今日、アクチュアルな課題となっていることも確かなことである。
 こうした事情を考えるとき、わたしたちは人権の原理の歴史的普遍性を信ずることが可能である。それはいまや、譲り渡すことのできない原理として承認されている。その人類多年の努力の成果は、国民の不断の権利への闘いのなかで受け継がれ生かされる。わが国憲法は、このことをつぎのように表現している。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。そして、この不断の努力を前提として、この自由と権利は「現在及び将来の国民に与へられ」たものと記されている。将来の国民と書くことに現代人の不遜はないかと問い直してみる。しかし、ここに書かれていることの真の意味は、つぎのことに尽きよう。
 もし、現在に生きる国民が、その人権への努力を放棄し、それを制限し奪いとろうとする勢力に身をまかすことがあれば、それは必然的につぎの世代の人権を侵すことに通じている。そのことは、たとえばもし現在の世代が、大多数の者の平和への願いを裏切って戦争に加担すれば、それはつぎの世代の生命と人権に大きな犠牲を強いることになるという一事をとっても明白である。人権と自由が人類の苦闘に基づき、現在および将来の国民に与えられているという規定は、現在の国民の不遜からくるのではなく、わたしたちの現在の努力の意味を過去の人類の努力につなぎ、その発展を将来の国民の努力に託す歴史意識の表現だと読むべきである。そして、そのことによって、原理の普遍性は、まさに未来へと開かれ、よりゆたかに発展しうるものとして、しかし決して後退は許されないものとして、絶えることなく求め続けられるべきものとしてとらえられる。そのような意味において、それは開かれたた普遍性だといえよう。
 このことの確認において、わたしたちもまた、コンドルセと同様に、憲法とその人権規定を絶対視し、教条化することを避け、それをよりゆたかに発展させる主体としての自覚のもとで、その人権規定に歴史的リアリティーを与えることができるであろう。国民が主権者であり、主権者こそが、その憲法をつくる力をもつという近代の主権と人権の法原理は、ここでも生きているのである。

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