人権中の人権としての学習権

 わたしたちは、国民主権をその存立の前提とする国家においては、教育権も当然国民にあると考える。国民主権と国民の教育権は車の両輪の関係にある。したがって、教育は国民の権利であり、子どもの人間的発達と学習の権利を保障するために、真理、真実のみに基づく創造的な教育実践の自由が保障されねばならない。そして、その合意において、今日の教育原理の中軸をなすものとして、国民の学習、教育権とそれに基づく、教育の自由の原則をあげる。
 この権利と自由は、主権者としての国民一般の権利であり自由である。それは国民の思想、表現の自由、真実を知る権利等と不可分のものである。しかし、それは、より具体的には、子どもの発達と学習の権利を軸とし、父母による教育への発言権、父母の信託に応えるための教師の教育権限の国家権力からの自律性の原理と結びつく。

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 人権思想のなかで、国民の学習、教育権は人権の基底として位置づく。このことは、この権利が奪われた場合、人権て殷も民主主義も空洞化されることを考えれば十分であろう。国民が真実を知る権利をもたす、探求の自由、学習の自由が奪われているところで、いかなる民主主義、いかなる人権の保障がありえようか。そこで、これらの権利を積極的に保障するものとして、国民の教育への権利が憲法次元においても徐々に承認され確立されてくる。この理念は、思想史的には、市民的自由に源流をもつが、やがて、民主的労働遅動のなかでは、働く権利、政治への権利と結びついて運勣綱領のなかに位置づけられて要求されてきた。
 さて、国民の真実を知る権利、探求の自由、思想、学問、表現の自由と結びつく学習権の思想は、現行憲法の条文からみれば、一三条(幸福追求権)、一九条(思想・良心の自由)、二〇条(信教の自由)、二一条(表現の自由)、そして、なによりも学問の自由を規定した二三条と、教育を生存権的基本権の文化的側面にかかわる権利として位置づけた二六条の教育を受ける権利の規定を条文上の根拠としている。
 しかし、ここでも、わたしたちは、国民の学習権を、ある条文とかかわらせて、そこから直接にその権利を導き出すのではなく、逆に国民の探求の自由、真実を知る権利を含むより包括的なカテゴリーとして、国民の学習権の原理を構築しうる。この権利が国民の権利としてたとえ明文として表現されていなくとも、人権と自由を原理とする近代憲法の原理は、論理必然的にその権利と自由を合むものであり、その意味でこれは、憲法的自由ないし、憲法的権利ともいうべきものであり、そしてこの国民の学習権こそ、憲法二三条(学問の自由)と二六条(教育への権利)とを共通に支えている原則だと考える。
 国民の学習権的視座をもって憲法を読めば、二三条は、従来の特権擁護としての大学自治論とは違って、それは、なによりもまず国民の探求と表現の自由を保障したものであり、そして、この大前提のもとで、公的研究機関における専門研究者の自由を、まさに国民の信託に基づくものとして保障したものであると読める。このことは、実は学問研究者に、その研究課題の選択において、国民への責任を自覚させ、学問の社会的責任と学問の国民化の課題を課すものである。国民の学習権は、主権者としての国民の不断の自己学習の権利の自党を基礎として、学問研究者への社会的責任意識と学問の質の問い直しをうながす原理でもある。
 この国民の学習権は、国民の生涯にわたっての権利にほかならないが、しかし、具体的には、子ども、青年の権利として、最も現実的な意味をもっている。なぜなら、もしその成長の初期に、発達と教育が十全に保障されていなければ、それはとり返しのつかない障害ないし欠損につながるからである。このことは狼少年にとっての生誕からの教年と横井庄一氏の孤独なニ八年の、その発達にとっての意味の決定的な違いをみれば明白であろう。
 ところで、子ども、青年の権利とは何か。それは、子どももまた人権の主体であることの確認を前提としつつ、しかしそれは、親に対する子、おとなに対する子ども、古い世代に対する新しい世代としての子ども、青年、という三つの異なった局面においてその意味が確定されなければならない。そして、それぞれの局面において、子どもの教育への権利は、それぞれに異なった含意をもつ。
 そして、これらの異なった局面を貫いて、子どもの権利の主要な内容は、子どもがその将来にわたっての人間的な成長が保障され、そのために不可欠な学習が権利として確保されるということである。そして、その発達と学習の権利が保障されなければ、その子の人権の基底が奪われ、その他の人権がその将来にわたって空虚なものになるという意味で、子どもの発達と学習の権利は、子どもの権利の中核であると同時に、人権一般の基底をなすもの、その意味でまさに人権中の人権としてとらえられる。この子どもの権利が充足されるためには、親の人権、教師の権利と自由、社会における一般的民主主義が保障されていなければ、子どもの権利は保障されないという関係にある。
 このように考えてくれば、子どもの権利の思想を深めることは、人権思想の展開の上で、きわめて重要な視点と問題を提起するものたといわねばならない。それは、人権思想を国民のものとして根づかせる通路を用意し、人権を抽象的に、天賦のものと考えるのではなく、それがまさに歴史的に発展してきたという観点を明確にし、同時に、人権そのものに、それを提う主体の成長という視点を含んで、発展の視点を持ち込むことになるのである。
 ところで、以上のような視点は、未だ十分に国民すべてのものになっているとは言いがたい。しかし、人権発達の歴史をみれば、まさに未だその権利が実現していないからこそ、その欠けたることの自覚は、それへの要求を権利として主張させ、権利へのたたかいが始まるのである。

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