教育認識の発展と教育条理

 憲法、教育基本法の解釈の推移そのものが、そのことの可能性を明らかに示している。たとえば、かつて通説的地位を占めていた法学協会編の「註解日本国憲法」は、その二六条解説で、教育を受ける権利の規定の歴史的意義とその教育学的含意について何らふれることなく、教育を国民の側から規定しようと国家の側から規定しようと、実質はいずれも義務教育を指すのだから、そこには本質的差異はないとのべていた。
 また宮沢俊義も教育を受ける権利を教育機会の量的な問題としてのみとらえ、「普通教育は義務教育であり、しかも無償と定められているから、その点については、特に教育を受ける権利をいう実益は少い」とのべ、権利としての教育の視点が戦後の義務教育観の根本的転換をせまるものである点について何ら言及していなかった。
 これを、世界人権宣言二六条についてのさきのピアジエの解説と比較するとき、教育を受ける権利という同じ法律上の文言を理解するにしても、その文言の背景にある歴史、それを貫く原理の展開を含むかどうかによって、いかにその内容が異なり、客観的な意味を異にするかが明らかとなる。

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 戦後の平和と民主主義の教育運動は、この憲法や教育基本法の文言にリアリティーを与える質の実践と理論を蓄積してきた。また、教育史の研究は、わが国の民主的教育運動の伝続のなかにも、権利としての教育の思想と教育の自由を求める運動か、弾圧に抗して地下水のように流れ続けていたことを実証し、その伝統をひきつぐ連動に歴史的な支えと自信を与えてくれた。
 動評や教科書検定による教師と教育内容の統制への権力の志向は、まさにこのような権利としての教育と教育の自由を根づかせ発展させる運動への攻撃にほかならなかったがゆえに、遂に、動評闘争や教科書裁判闘争は、教育における権利と自由の意識を一層自覚させ、国民運動として発展させる基盤をつくっていった。
 家永教科書裁判に結集された力は大きいが、杉本判決の意義は、従来の通説的解釈を離れ、教育の歴史と原理、創造的実践に深く学び、それを判決のことはとして表現した点にあった。その判決文は、杉本裁判長個人の独創性のゆえに意味があるのではなく、遂に、そこに近代以降の教育思想の歴史的展開、今日における教育理解の国際的水準、そして、戦後日本における創造的教育実践の蓄積された成果に依拠し、そのことによって、憲法、教育基本法の立法の精神にかない、その論理に即して、それを発展させる解釈を打ち出すこととなったがゆえに、まさにその論旨の普遍性のゆえに裁判上画期的意義をもつのである。
 教育法学会を中心とする法学者の仕事は、教育実践者、教育研究者との共同研究体制をつくり出すなかで、法学界におけるかつての通説を、いまやはるかに高い水準で乗り越え、通説を変えてきたといってよい。そして、学テ最高裁判決も、法律学、教育学の動向や下級審の判例動向を無視しえず、結論としては行政追認ではあったが、その憲法解釈、さらに教育基本法一〇条解釈において、今後の国民教育運動の一定の手がかりを残すことにもなったのである。
 これらの新しい法学、法曹界の動きを含めての、教育条理にかかわる憲法解釈の推移のなかには、法と教育をめぐるきわめて豊富な問題が含まれている。教育運動と教育理論が提起するものを、教育条理として法解釈に媒介させるという実践的見地からの、法社会学的視点をもった教育法研究が進められねばならない。
 中教審構想を中軸として保守党政権が改革構想を打ち出しているとき、革新の側は守りの姿勢で過去に固執してはいないかという批判が聞かれる。しかし、このような批判は、法の形成、その解釈の歴史性、したがって発展の可能性を見ないものたといわねばなるまい。戦後三〇年の歴史のなかで、憲法や教育基本法に内在する価値が、ようやくわたしたちにとって具体的な意味を現わしてきたのであり、その意味で、守るべきものは、その後の闘いのなかでつくりだされてきたという関係が成り立つことに注目しなければならない。
 わたしたちが守り発展させようとするのは、その一つ一つの条文の文言ではない。教育法の根底には、教育の条理が前提されている。しかも、その条理そのものも固定的なものではない。それは、歴史を通じて発展し展開されてきたものであり、それ自体が人類の闘いの成果であり、人間が子どもを育て、文化を伝え、歴史をつくるなかで発揮した英知の結晶である。
 戦後の民主教育も、教育の条理と教育的価値の歴史的展開の一過程である。それはわたしたちの子どもの発見と国民の学習、教育権の自覚の過程でもあったのである。条理は人間の発達を保障する科学と技術の組織によって支えられ、新しい習俗となって民衆のなかに根づき、教師の実践を貫いて生かされる。人間は真実を知り幸せに生きたいという要求をもっている。とりわけ、そのことをつぎの世代に託して願う。その要求や願いこそが教育条理の根底にあるものである。国民の学習、教育権も、この条理と人間としての要求に根拠をもっている。要求のないところに権利はない。要求と権利がつねに交流し合わねば、権利は抽象化し、要求はその方向性を失う。わたしたちは憲法や教育基本法を守ろうという。しかし、守ることは、要求の質を高め、権利の思想を発展させることを通じてしか、不可能なのである。
 わたしたちは、戦後の教育政策の歴史とそれに抗して民主教育を創り出してきた運動の歴史のなかに、まさに法と教育(実践)のきわめてダイナミックな関係の実例を見ることができる。教育実践と教育運動の質の高まりのなかで、教育の原理もまた明確になり、発展し、それが法律の解釈を発展させ、憲法、教育基本法体制の本来的な合意をゆたかにしてきたのであり、この課題はさらに新しい世代の課題であり続けよう。

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