教育に固有な人権としての教育人権

 教育だけにかんする独特な法論理的内容を有する人権は、教育人権ないし教育基本権と呼ぶのがふさわしいであろう。人権をふまえた教育という観念が進むと、このような教育人権ないし教育基本権が生まれる。教育の自由や教育をうける権利がそれである。それらは、学校教育だけでなく、家庭教育や社会教育、また障害児教育に、広く汲んでいる。

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 わが国で教育基本権と言うと、労働基本権との並びで、社会権としての教育をうける権利だけが注目されがちであるが、本来、教育人権、教育基本権としては、国民の教育の自由が自由権として法論理的にも先行しているはすなのである。さきには、戦後教育改革において教育が国民の権利になったことを、教育をうける義務を転換した、教育をうける権利によって解明したが、それは義務教育にかんする国家の積極的条件整備を問題にしていたがゆえであって、本当は法論理的には、近代的および現代的自由権としての国民の教育の自由こそが国家の教育権を転換させて教育を国民の人権・権利の対象にしたのであることが、忘れられてはならない。教育課程行政をめぐる国家の教育権の主張に対して法原理的に対峙できるのは、国民個々人の教育の自由にほかならないわけである。なお、憲法二三条、学問の自由が教育人権であるかどうかは、究明を要する問題であるが、教育人権的実質を多分に含むように解されてよいと思われる。
 さて、教育人権にふさわしい独特な法論理的内容が法学によって究明されだしたのは、わが国のみならず世界的にも、第二次大戦後で比較的近年のことに属する。もっとも教育人権の新研究の勘当だけが孤立しているわけではなく、一九六〇年代いらい日本では新しい基本権の展開が見られるとされ、平和権(平和に生きる権利)・環境権・健康権・情報権(知る権利)・地域住民の自治権などとならんで、学習権による教育権をめぐる再構成の動きが捉えられる、とされている。
 ところで、教育人権が教育に固有な法論理的内容を特つ人権であるとしたら、そのふさわしい中身は、教育という事柄の性質に即してあるべき条理に叶った人権保障でなくてはならないはずであるから、こんにちの人間教育をめぐる条理解釈によってのみ見定めることができよう。教育人権の究明は、けっして在来の一般人権的理解を教育にかかわらしめただけでなしうるところではなく、教育条理の人権保障的部分を明らかにしていくという仕事であろう。一九六〇年代いらい日本および欧米諸国における教育法学や学校法学によって、教育人権の教育条理的解釈が、教育思想史をはじめ教育学の成果をふまえつつ展開されてきたことが、当然ながら大いに注目されるゆえんである。このように、在来の一般人権を超えて特定の人間生活分野にかんする事物の性質に即した特殊な人権を、憲法学が論する場合には、現代法学としての各分野の特殊法学が研究してきた人権の条理解釈を十分にふまえる必要があるものと思われる。かつて労働法学における労働基本推論が人権憲法論に摂取されたのと同じことが、教育法学による教育人権・教育基本権前についても言えるのではなかろうか。

戦後改革における人権保障と教育のかかわり/ 障害児に関する就学義務猶予、免除/ 国公立学校における特別権力関係/ 私学における人権保障の適用/ 教育に関わる一般人権と教育人権との区別/ 教育に固有な人権としての教育人権/ 子ども達の生命、身体権について/ 学校施設での環境の悪さによる人命事故/ 教育活動条件の悪さによる自身事故/ 人身事故を招いている体罰/ 子どもの健康権と学校給食/ 子どもの私生活の自由とプライバシー/ 学校活動と家庭プライバシー/ 公教育における思想良心の自由/ 愛国教育と思想良心の自由/ 学生生徒の政治活動の自由と校内教育の秩序/ 平等権と家庭科の女子必修問題/ 私生活の自由と教職員の服務規則/ 思想良心の自由と教育員人事/ 教師の政治活動の自由とその制約/ 教職員の休息権/ 教職員の労働基本権/ 子どもの教育をうける権利/ 能力に応じて教育を受ける権利/ 学習権と社会教育/ わが子の教育に関する親の選択の自由/ 文化を担う国民の教育参加の自由/ 私学教育の自由と公費助成/ 教師の教育権の複合的性格/ 学問の自由と教師の教育研究発表の自由/ 教師の教育の自由と子どもの学習権/ 教育界における人権保障方式/

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