人身事故を招いている体罰

 体罰について戦後日本の法律は、文面上はっきりした態度を示している。学校教育法一一条によれば、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるとは、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」そして法務当局の見解としても体罰の範囲はかなり広く解釈され、身体に対する侵害を内容とする懲戒、なぐるけるの類はもとより、端座・直立等、特定の姿勢を長時間にわたって保持させるといった、肉体的苦痛を与えるような懲戒もまた体罰に該当する。遅刻や怠けたことについて掃除当番などの回数を多くするのは差支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。とされている。また、戦後早くに、生徒を殴打した高校教師を暴行罪で有罪とした判例がつぎのようにのべている。

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 学校教育法による体罰禁止を、基本的人権尊重を基調とし暴力を否定する日本国憲法の趣旨などに鑑みるときは、殴打のような暴行行為は、たとえ教育上必要があるとする懲戒行為としてでも、その理由によって犯罪の成立上違法性を阻却せしめる法意であるとは、とうてい解されないのである。殴打の動機が子女に対する愛情に基づくとか、またそれが全国的に現に広く行なわれている一例にすぎないとかということは、とうていこの解釈を左右するに足る実質的理由とはならない。
 なるほど親の子に対する懲戒権のうちには、ある程度、愛のむちを打つことがふくまれ、それは幼児教育の手だてとして必ずしもすべて子どもの人権の侵害とはされない。そして、イギリスやアメリカの教育法制にあっては、親の懲戒権に相当するものが学校教師の手にもゆだねられているという考え方から、ある程度の愛のむちとしての体罰権が教師に認められているほどである。こんにちの日本の教育界にあっても、しつけ面での教育熱心や、反抗的な子どもによる秩序破壊への対応としてやむをえないといった理由から、ある程度の体罰は教育上必要だという考え方をもつ教師や父母が、必ずしも少なくないようである。
 しかし、ほんとうに教育上いかなる懲戒が必要なのかは、子どもの人間的成長と学習権を保障していく教育専門的立場から十分に究められていかなければならず、そこにおいて、ある程度の体罰の教育専門的必要性ということは、やはりそう簡単に認められないのではなかろうか。体罰教育はえてして、教師の裡の人間味をぶつけることによる教育的即効をねらいがちであるが、つぎのある母親の意見は、体罰教育も教師にとってしかく容易ではないことの一端を語っていよう。
 体罰を与えるとき、先生の心は痛みを感じるものであろう。もし、校庭十周といった体罰を加えるなら、先生も一緒に何周か伴走してやるとか、見守って声をかけてやったらどうか。生徒にとってこのような経験は、体罰を受けたというよりも、むしろ先生の温かさとして心に残るのではなかろうか。
 ところで、体罰をめぐる教育論は実はここでの目的ではない。戦後教育改革立法としての学校教育法は、戦前の体罰教育実態を反省するとともに、日本国憲法によってはじめて人権保障がもたらされた日本社会とその教育界において、人権意識が未定着であることにかんがみて、人権侵害にわたりやすい体罰を法禁することにしたのだと見られる。この見地からとりわけ問題になるのは、こんにちの日本の教育界における体罰教育が、明らかな人権侵害の実例を数多く惹起しているという事実である。法務省人権擁護局が毎年、被害者からの申し出にもとづいて人権侵犯事件として調査処理したものを報じているが、体罰を主とする教育職員による侵犯の教は、人権侵犯事件統計表のなかで警察官のそれに次ぐ高い順位を占めているのである。ただしここでは、新聞等で社会的にクローズ・アップされた若干の人身傷害例を挙げるのにとどめておく。一九六四年五月、東京都杉並区立中学で、三年生男子四人が音楽室へ向う途中大声で歌いながら廊下を歩いたため、社会科の授業をしていた教諭が「持て」と言いながら追いかけ、音楽室に逃げこんだ四人の頭を木製の丸イスで順次なぐった。四人とも頭から血をにじませ、うち二人は二、三針ぬう治療を要した。PTAの調査では、同教諭はたまたま教育実習指導中で「きびしい学校のしつけぷりを後輩の教育実習生たちに見せようとして、ついはやりすぎたのではないか」と見られている。
 一九六六年五月、群馬県榛東村立小学校で六年生担任の教諭が、受持ち児童二人が教室掃除をなまけたのを注意したところ不まじめな態度をとったので、二人の後頭部をおさえてはち合わせさせた。二人とも順に全治四ヵ月の重傷を負い、同教諭は東京高裁判決で懲役四カ月を言い渡されるにいたった。
 一九七〇年四月、静岡市内の私立のS学園高校に入学したA君は、肥満児のため制服が苦しいのでホックやボタンをいくつかはずして登校する途中、先生から注意され、「なんですか」と聞き返したところ、「態度が悪い」と担任の教諭に呼び出され、教室内ですくなくとも二人の教師からシナイやスリッパで頭や顔をなぐられた。その頭痛のため柔道練習を休んだA君は、再度担任教諭をふくむ数人の教師から頭や顔を殴打され、五ヵ月の病院通いをしなければならなかった。同校校長は「いまの社会はタガがゆるみすぎている。現代ではスパルタ教育が一番だ」と言っているという。
 一九七四年一〇月、茨城県大洋村立小学校六年のB君は、対外陸上競技選手に選ばれて自主トレーニング中であったが、体育担当の教諭が全員を校舎昇降口に正座させ「練習をなまけました」と答えた子どもを次々と殴った際、掃除用デッキブラシの竹の柄で頭を殴られ、それがもとで脳手術を受けることとなったが、結局死亡した。
 これらはいずれも結果から見てゆきすぎであることが明らかだが、体罰的懲戒に果してゆきすぎを防ぐ絶対的手だてが有りうるのだろうか。教育的懲戒が十分な人権意識にささえられているならば、生活指導の専門性を高め、やはり体罰に訴えることを避けるはずではなかろうか。もっとも、生徒側の暴力から教師がみすがらの人権を守るために正当防衛する、といった場面は、全く別の話であるが、体罰教育には暴力連鎖のおそれがつきまとっていることでもあろう。

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