学校活動と家庭プライバシー

 たいていの学校では、入学時や組がえ時に、家庭調査表を子どもに持ち帰らせて親に記入させている。ところがその調査項目が、本人の成育歴、健康状態、家族構成のほか、親の学歴、職業、家庭の生活程度や、勉強部屋、テレビの有無などに及んでおり、近年父母のなかに、「学校がなぜこんなことまで調べなければならないのか」と強い批判の声があがっているという。たしかに各生徒の家族とくに親のプライバシーの権利は、学校としてもいっそう尊重すべきもののはずで、家庭調査は事の性質上その侵害にわたりやすいことが留意されていなくてはならない。他方、学校として各子どもの家庭状況を知っておくことは、その子に適した学習指導や生活指導を行なって学習権保障を十分にしていくために必要である。しかし、家庭の実相にふれるのには子どもとの話合いや家庭訪問が正道であって、家庭状況のペーパー記載は教育的にも適切でないことが少なくないであろう。長い開漫然と多項目のペーパー家庭調査が行なわれてきたところには、遺憾ながらプライバシー人権感覚の弱さを見ないわけにいかない。当面まず、家庭調査表項目の精選が、人権感覚をふまえた教師集団の教育専門的討議によってなされるべきであろう。
 なお同様な問題は、進路指導をはじめ生徒からの教育相談など個別の生活指導において、いっそう具体的に生じうるし、また教科教育にあっても、作文指導で子どもの生活に取材させる場合などに配慮を要することであろう。

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 生活指導の延長上において、指導を無視して悪行をあらためない子どもに対しては、強く反省を促す教育的手段として懲戒が行なわれる。それも、本人および他の子どもたちの学習権保障のために教育上必要と考えられるがゆえである。しかし懲戒行為は、体罰ならずとも、物理的ないし精神的な強制を伴うので、子どもの名誉権や私生活の自由の侵害にわたらないことが必要であろう。
 小学校で、忘れ物を多くしたり学校の決まりを守らなかったりした子どもにたいする懲戒方法として、その趣旨を書いたゼッケンをつけてしまう例があるという。一九七三年六月四日に水戸地方法務局が人権侵害と認めて勧告を出したケースは、茨城県土浦市立小学校の一年生A君が級友から「神社のサイ銭箱からお金をとった」と告げ口され、担任教諭が学年主任の助言でA君の背中にその趣旨を書いたゼッケンをとめてしまったが、実は全くのぬれぎぬであったというのである。また、名古屋地方法務局が指弾したケースにつぎのような例があった。ある公立小学校の六年担任のX先生は「四月初めに児童から生活表を出させ、それに決めた生活を送るよう指導して、五月中旬にその状態を調べたところ、ほとんどの者が実行していないことがわかった。そこでX先生は、これを徹底させるために、「自分で決めたことを守れないで平気でいるのは恥しいことだ。犬や猫でも訓練すれば守れる。君らはそれら動物と同じだ。だから、せっかく親からもらった立派な名前を呼ばれる価値はない。これからは授業中だけ動物の名前を呼ぶから自分で好きな名前をつけ、名札に書いて胸にはれ」と命じた。児童はそれぞれ、山猫、三毛猫、つる、さる、そうなどの名前をつけ授業中X先生はこの名前を呼んで指導した。」
 これらの懲戒方法は、本人をふくむクラス全体がいわば罰ゲーム的感じで主体的に受けとめるような一定の雰囲気の存することが前提になっていないかぎり、その子どもの人間としての名誉権を害しているであろう。自分をふくめて人の名誉を重んずることは、人を人格として尊重することの一端であり、教育上、ひいて自主的精神に充ちた人間の育成につながるのである。
 さて、クラスの子どもたちの自主性にうらづけられた集団懲戒のしかたである沈黙刑というのが報ぜられて問題になっている。
 大阪の千里ニュータウンの小学校の四年生の教室で、いじめっ子が問題になった。「K太郎君が後ろから背中をたたいた」と終りの会で女の子が訴えた。「意昧もないのにたたくなんて、あかんやないか」と、ほかの子も同調した。結局、多数決で沈黙刑が決まった。沈黙刑というのは、授業中を除いて、いっさい話しかけない。話しかけられても相手にしない。もちろん一緒に遊びもしない。K太郎君は毎日、教科書のほかにマンガの本を持って学校へ通った。三日目、さみしさと所在なさで、たまらない顔だった。「終わったたぞ」。四目目の朝、解放されたK太郎君は歓声を上げたという。家庭訪問のとき、K太郎君のお母さんが先生にいった。「親として、見るにしのびない。」先生は答えた。「学級会で決めたことだし、本人も納得した上のことですから。」
 ここにはやや罰ゲーム的な雰囲気があるやに見える。しかし形はさながら村八分であって、子どもたちが何日間も一致してそういう態度がとれるという生活感情は、共同生活のなかにおける人間の尊重という人権感覚とは別物ではないであろうか。
 児童懲威権の限界についてと題する法務当局見解において、学童が学校備品または学友所有物を盗んだ疑いのあるとき教職員が学童を訊問できるかという設問について、つぎのとおりのべている。「行為者を探し出してこれに適度の制裁を課することにより、本人ならびに他の学童を戒めてその道徳心の向上を期することは、それ自体、教育活動の一部であり、従って、教師は設問のような訊問を行ってもさしつかえない。ただし、訊問にあたって威力を用いたり、自白や供述を強制したりしてはならないことはいうまでもない。そのような行為は、強制捜査権を有する司法機関にさえも禁止されているのである」。
 校内で盗難事件がおきてしまった場合、警察との関係も微妙な問題ではあるが、いずれにせよ学校教師は警察とは別の生活指導的立場で、子どもたちに動揺を生ぜしめている事件の処理に当ることになろう。そしてこの見解のとおり、教師は疑わしい児童生徒に問い質しをすることができよう。しかし生活指導的立場にあっては、警察の犯罪捜査とは異なり、必ずしも犯人のわり出しが主目的になるとは言えないわけで、その意味でも、あたかも強制捜査のような生徒取扱いは妥当でない。えてして盗難のような犯罪事件に処して学校関係者は非常に緊張しがちであるが、その場合にこそ、憲法がわざわざ刑事上の人権保障を規定している精神を汲む必要がある。近代憲法は、最も保障されにくい人権をそれなるがゆえに重視して、犯罪を犯したと疑われている人の身体の自由やプライバシー権を刑事上の人権として特別具体的に保障しようとしてきたのであった。

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