平等権と家庭科の女子必修問題

 憲法一四条によれば、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、社会的関係において、差別されない」。これは、人がすべての人権を平等に保障されなければならないという意味では、平等原則という人権保障の一原理だとも見られる。しかし、それぞれの人権が一部の人々にだけ十分保障されていないのではないかというときに、その人権の十分な保障ということの具体的中身がまだはっきりとはしていない場合にも、不当な差別取扱いが有ることをもって人権侵害と捉えられるのであるから、それぞれの人権からある程度独立した平等権という人権を語ってよいように考えられる。もっともこの平等権保障は、それが最終目標だというのではなく人権保障の端緒的レヴェルであって、さらにそれぞれの人権についての十分な保障が要求、実現されていかなくてはならない。また、異なる取扱いの全部が必ずしも平等権侵害としての差別であるわけではなく、明らかに人権保障に反せず、またむしろ人権保障を進めるための特別な取扱いも、ないではない。今日の憲法における社会権保障にはそういう面がふくまれ、社会的弱者としての子どもの人権として特に「児童は、これを酷使してはならない。」と規定されているのである。

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 ところで、今日の日本の公教育においては、平等権を損なうような差別が少なくないのではないかと問われている。日教組の委嘱をうけた教育制度検討委員会の最終報告「日本の教育改革を求めて」では、公教育における差別の現実として、男女差別、家庭の貧困による実質的差別、障害者差別、部落差別、沖縄県民、アイヌ系国民にとっての教育差別を挙げている。いずれも重要な問題であるが、ことでは男女差別教育の問題を家庭科の女子必修のしくみをめぐって論じていくことにしたい。とくにこの問題を選んだのはつぎの理由からである。
 第一に、平等権侵害たる差別は、法制度的なしくみとして決められた取扱いそのものの中に見出されるときによりはっきりし、まずその差別取扱いを決めている法制度的しくみを是正していくことが肝要と言えるが、家庭科を女子だけの必修教科とするしくみはそれに当るように考えられる。
 第二に、教育における男女差別の撤廃は、戦前の男女差別的教育体制にたいする強い反省として、戦後教育改革の主要テーマの一つに拳げられたはずであった。それは日本国憲法二四条二項にいう両性の本質的平等の教育法制へのあらわれでもあって、教育基本法五条に男女共学という法原理として確認されている。ところが、能力に応じた″教育の多様化政策の展開にともない、男女共学にかなりのひびが入ってきたと見られ、家庭科の女子必修はまさにその一例として憲法、教育基本法制における男女平等権にかかわる問題を投げかけている。
 さて、家庭科の履修制度は、戦後教育改革直後の一九四七年の学習指導要領の家庭科編にあっては、小・中・高一貫で、小学校の男女共修、中学の職業・家庭科でも男女共に学ぶ分野があり、高校では男女とも選択教科となっていた。ところが一九五八年における教育課程改定のための「学校教育法施行規則」改正によって、小学校五・六年向けの「家庭」はいぜん男女共修教科であるが、中学校の必修教科として「技術・家庭」が新たに定められるとともに、その扱いが、学習指導要領の基準にゆだねられた。そして文部省告示とされた中学校学習指導要領において、技術・家庭科は男女二系列に分けられ、男子は工的技術が中心で家庭的内容のない技術科を、女子は衣食住・家庭機械電気・保育をふくむ家庭科を、それぞれ則学するものと記されるにいたった。また高校については、とくに一九七三年度からは、女子の特性にかんがみて、高等学校学習指導要領において、女子について家庭一般が普通科の必履修教科と書かれるにいたった。そして男子はその時間、柔剣道などの格技体育を履修することとされている。
 この家庭科女子必修制には教育界で反対がしだいに強まり、七四年一月に結成された「家庭科の男女共修をすすめる会」では、主婦の準備教育としての女子だけの家庭科よりも、生活者として協力し合う男女が生活についての基本的な知識・技術・考え方を学ぶための共修家庭科を、強く主張している。そして現に京都府立高校などでは、府教委の支持のもとに七四年度から、家庭科の男女共修が実施されだしている。もっとも他方では、教育制度検討委員会最終報告が、教科をこえた現代生活のための総合学習の必要という観点から「現行の家庭科は廃止し、家族制度・家計・家族労働・保育などは総合学習においてとりあつかい、とうぜん男女共修となる。」と提言している。家庭科教育のどんなあり方がふさわしいかの追求は、子どもの学習権保障のほうにかかわる問題なので、ここでは立ち入らない。
 ここで問題にするのは、家庭科を女子だけの必修教科とする制度的しくみが憲法一四条の平等権の侵害であり「教育基本法」三条一項・五条(男女共学)違反ではないか、という点である。
 前述した中学・高校における家庭科女子必修のしくみは、文部省告示たる「学習指導要領」の記載にもとづいており、もし文部省解釈に説かれるとおり学習指導要領が全国の学校を拘束する国の法規であるならば、家庭科女子必修は国法的しくみだということになろう。しかし教育法学界の通説的法解釈によれば、学習指導要領は文部省がのぞましいとする教育課程の基準を記して公示した指導助言文書にほかならないから、学校にたいする法的拘束力はないはずである。この教育法解釈に立てば、家庭科の女子必修は国法的しくみではなく、各学校がその教育課程編成において決めたしくみだということになる。そして現に京都府立高校などの例に見られるごとく、現行法の下で男女共修制も可能なのである。しかしなお生徒や父母の側からすれば、学校が決めている家庭科女子必修は、その学校におけるやはり一種の法制度的しくみにほかならないから、平等権侵害をしているしくみでないかどうかが問題となろう。
 女子の特性を教育上活かすという観点に立った場合でも、そのような内容の教科を用意して男女全員の選択教科とするしくみが法制度的には限度であると解される。女子のみの必修教科はもとより女子のみの選択教科も、男女全員の選択教科とは異なり、教科という教育制度において、教育をうける機会を男女間で均等でなくするしくみにほかならす、それだけの教育制度上の大きな別取扱いをうらづける性別教育の条理というものは、もはや存在しえないと考えられる。教育現場における実際上のあらわれとしても、共学校で女子だけの必修がある時間は、その教科として男子だけの特別教科を置くほかはなく、そこに格技体育が配されている、といった一種のおかしさを生じている。
 かくして家庭科女子必修のしくみは、両性の本質的平等の精神に照らして憲法一四条一項の法の下の平等に反するとともに、男女共学の原理に照らして教育基本法三条一項の禁ずる「性別による教育上の差別」に該当して違法である、と言うほかはないであろう。

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