教師の教育の自由と子どもの学習権

 学問研究者も、人類と国民の幸福を増進するような学問研究を行なう社会的責任を負っており、学問研究の自由はその社会的責任を果すために必要と言うことができよう。しかし伝統的な学問研究の自由は、この社会的責任とのかかわり以前に、端的に真理追究の自由性によって根拠づけられてきた。これに対して、学校教師の専門的な教育の自由は、教師が子どもと父母に対して直接に負っている教育責任を果していくために不可欠なのだという条理的根拠が、学問研究の自由の場合とは別に強調されてよいであろう。教師は、子どもたちの人間的能力発達を真に教育専門性高く保障していくために、教育専門的自律にもとづく自由を要求するわけである。

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 この点、旧来の憲法学説に、下級教育機関の普通教育における画一性の要請を理由に、教育の自由の実質的否定を説く向きがあった。これは一見理解されやすい見解であるが、この画一性論はこんにちの教育学では簡単に承認されえない。普通教育の内容をすべての子どもの人間的能力発達を保障する見地から吟味するときには、けっして全国一律の最低基準といったものを容易に見定めうるわけではないのである。かりにそのような一律的教育内容が教育専門的に見定められうるようならば、教師の自由を法的に制約せずとも、指導助言的措置によって十分教育界で実行されていくはずであるが、実際には教育専門的に良しとされる普通教育内容はかなり多様になるものである。
 子どもたちの人間的能力発達は発達の法則をふまえた教育によってこそ保障されうるわけであるが、子どもの発達の法則が、教育学その他の児童科学によって、一律的教育内容を指示するほどに究明されるということは容易に有りえず、また子ども一人ひとりの能力発達のしかたまでを児童科学ですべて認識することはのぞむべくもない。そこでどうしても教師は、教育責任を負う子どもたちの能力発達のしかたをみずから研究し実践的に確かめつつ、それにできるだけ見合った教育内容と教育方法を自主的に選定していかなければならない。ここに他者が強制的に介入するときには、結局において当該子どもたちの能力発達のしかたに見合った教育になる教育専門的保証が無くなってしまう。
 ドイツの公法・教育法学者エーファース教授によって、この教育専門的自律にもとづく「教師の教育上の自由」がつぎのように説かれている。
 「人がいかに教育組織の統一化を図ろうとしても、教育活動じたいは、それぞれただ一人の生徒がただ一人の教師と一回かぎりの状況において出会う高度に個人的な過程にほかならない。そこでは、教師にとって教育専門的知識とともに理解と有益なる愛とが必要とされ、生徒にも協同が要求される。人はもはやつぎのことを知っている。教育過程の状況関係性は、状況との関係でかなりの変動幅を伴なう流動的な措置を要求する、ということを。この教育活動の相対性、教育過程の固有な法則性からしても、教育の内容、方法を決める一定の自由が生じざるをえない。」教師の「教育上の自由は、本質的には、けっして個人的な自由ではなく、学校の目的すなわち、子どもの利益にかかわらしめられている自由なのである。」
 この最後に記されているとおり、教師の教育権は、子どもの人間的発達権日学習権としての教育をうける人権の保障の一翼を成す、という意味で教育人権性をになっていると見られる。そしてその意味では、教師の教育権は、個人的人権というよりも、学校組織における自治的権限としての性質を多分に有し、またそこには、学校全体として教育責任を果していくのに必要な学校教師集団の自治権もふくまれるであろう。
 とはいえ、やはり教師の教育権には、教師自身の自由という人権性も併存していると考えるべきであろう。それは、教育専門的自律が同時に教師の人間的主体性の保障をも要求するからであって、この点はドイツの教育法学者ハンス・ヘッケル教授か喝破している。
 「すべて教師は、みすからの活力によって、ゆだねられた教育対象と内容とを個人的に教育していくのであって、それはそれらが彼の人格のなかを貫き通るがごとくである。このように教師が自由な人間であってたんなる教育機械ではないというかぎりで、彼の教育は、学問の自由に参与している。」
 かくして教師の教育の自由は、子どもたちの教育をうける権利を国家が保障していく場における現代的自由として捉えられる。そしてそこには、教師個々人の教育の自由とともに、学校教師集団を成している教師たちの集団的自由もふくまれていよう。教師の教育の自由には、学校教師集団を通じてのみ子どもと父母に教育責任を果せるという範囲が有るとともに、同じ子ども集団に接している同僚教師との協同はけっして各教師の教育専門的自律と人間的主体性とを損なわすに有りうるはずだからである。
 このような教師の個人的、集団的な教育の自由は、日本国憲法二六条「教育を受ける権利」の保障にかかわる現代的自由であると条理解釈するのが、杉本判決にも示されたとおり、たしかに一法である。しかし憲法二三条「学問の自由」を、学問研究の自由という伝統的な枠に捉われずに、子どもの学問学習と教育とのかかわりをふくめて現代的に広く解しうるならば、さきにのべた国民の教育の自由とともに教師の教育の自由もそこに保障されている、と読むことができるように考えられるのである。最高裁学テ判決の前記判示も、この見地から評価されてよいであろう。

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