教育界における人権保障方式

 教育にかかわる一般人権と固有な教育人権との別は、たしかに法論理的に一応はっきりしており、欧米近代教育の歴史をめぐっても有意味な視点であろう。そして、これからの日本の教育界における人びとの人権意識のあり方にも連なっていく区別であるように思われる。
 とはいえ、こんにちの日本の教育界にあっては、一般人権もいまだ十分にふまえられてはいないので、新たにつくられていく教育人権とともどもに、人権をふまえた教育と教育制度をめざして意識的な取りくみがなされていかなければならない。

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 ところで、両人権を通じ、およそ教育界で人権保障を実現していこうとするときには、その保障実現の方式に特色が見られるようなので、最後にここでそのことに留意しておきたい。
 それは、教育界における人権保障は、権力を伴う教育行政に関してだけでなく、教育そのものによっても自治的になされていく必要がある、ということである。さらに内訳するならば、教育の外的事項の条件整倫による人権保障、たとえば施設設備改善による子どもたちの生命、身体の保護は主として国や自治体の教育行政によって推進されなければならず、教育の内容面たる内的事項の領域についても、教育行政の権力に対する自由権的人権保障が重要であるが、学校での教育の内的事項における人権保障は、教育関係者による自治のなかで実現していかなくてはならない。
 学校内における人権問題は、教育にかかわる子どもの人権保障をはじめ、子ども・父母・教職員など教育関係者の人権間の調整、たとえば、婦人教師の結婚の自由や休息権と子どもの学習権との間を含めて、教育に直接かかわる人びとによる自治のなかで解決していくことが原則的にのぞましいであろう。
 教育行政に対する人権保障の要求は、他の社会分野におけるのと同じく、必要に応じて社会的な権利擁護運動により、ひいては裁判に訴えることも十分有りえよう。そして法学的にも、その適正な解決のために、条理に照らした法論理の究明が重要であろう。
 これに対して、学校内の教育をめぐる人権保障は、人権問題だからといってただちに対社会的活動に依ろうとしたり裁判に訴えたりすべきではないのではないか。学校内の教育をめぐる人権の具体的なあり方は、各学校ごとに教育関係者たちの真摯な努力と自主的な判断によって見定められるのがふさわしく、それは法的には、自党された学校慣習法づくりであると言えよう。もちろんその過程において権利主張者の権利のための闘いは有りうるが、問題解決はなるべく教育自治のなかで図るように努めるべきであろう。
 しかし、それだけにそこでは、人権の具体的あり方が、教育関係者たちの規範意識に支持された慣行によって決められていくということであるから、人びとの教育にかんする人権意識がとりわけ重要になる。これまでの教育界に有りがちであった、教育熱心のゆえの人権無視、たとえば教育熱心な教師による体罰教育は、やはり教育人権意識の弱さを示すものと見なければならない。教育の専門性を高めることは、まさに人権をふまえつつなしうるはずであって、教育の向上と人権保障とは本来一致するものと考えるべきであろう。
 ともあれ、人間教育とそのしくみにおいて、かえって人権があまりふまえられていないという逆説的な状況からは、早急に脱却したいものである。そのためには、教育界の人びとの日常的な人権学習や人権教育がもっと重視されてよいであろう。

戦後改革における人権保障と教育のかかわり/ 障害児に関する就学義務猶予、免除/ 国公立学校における特別権力関係/ 私学における人権保障の適用/ 教育に関わる一般人権と教育人権との区別/ 教育に固有な人権としての教育人権/ 子ども達の生命、身体権について/ 学校施設での環境の悪さによる人命事故/ 教育活動条件の悪さによる自身事故/ 人身事故を招いている体罰/ 子どもの健康権と学校給食/ 子どもの私生活の自由とプライバシー/ 学校活動と家庭プライバシー/ 公教育における思想良心の自由/ 愛国教育と思想良心の自由/ 学生生徒の政治活動の自由と校内教育の秩序/ 平等権と家庭科の女子必修問題/ 私生活の自由と教職員の服務規則/ 思想良心の自由と教育員人事/ 教師の政治活動の自由とその制約/ 教職員の休息権/ 教職員の労働基本権/ 子どもの教育をうける権利/ 能力に応じて教育を受ける権利/ 学習権と社会教育/ わが子の教育に関する親の選択の自由/ 文化を担う国民の教育参加の自由/ 私学教育の自由と公費助成/ 教師の教育権の複合的性格/ 学問の自由と教師の教育研究発表の自由/ 教師の教育の自由と子どもの学習権/ 教育界における人権保障方式/

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