教育基本権裁判

戦後のすでに100を越える、教育判例のうち、現在最も主要な位置を占めるのは、なんといっても旭川学テ事件の最高裁大法廷判決です。この判決が生み出されるについては、十指に余る学テ下級審判決の支えがあり、他方それら以上に、教科書検定違憲訴訟第一審判決の与えた影響が大きいと考えられるのです。杉本判決は、憲法26条の、教育を受ける権利、を説くにあたって、子どもの人権としての学習権を基礎にすえ、子どもは未来における可能性を持つ存在であることを本質とするため、将来においてその人間性を十分に開花させるべく自ら学習し、事物を知り、これによって自らを成長させることが子どもの生来的権利であるとし、この基盤のうえに父母・国民の教育責務としての、国民の教育の自由、を位置づけ、これに対応して国家の教育責任とその限界を導き、してみれば、国家は、国民の教育責務の遂行を助成するためにもっぱら責任を負うものであって、その責任を果たすために国家に与えられる権能は、教育を育成するための諸条件を整備することであると考えられ、国家が教育内容に介入することは基本的には許されないと断じ、まことに画期的な判決でした。このように子どもの学習、発達の権利を憲法26条の教育権解釈の基柢にすえ、そこから父母、国民、教師、国家の教育上の地位を解き明かすといった考え方は、日本教育裁判史上はじめてのことであり、戦後30年の教育研究と教育裁判運動の成果を反映したものということができます。

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これに対して旭川学テ最高裁判決は、杉本判決流の見解を、極端かつ一方的、だとしつつも、その見解に促されて、憲法26条の規定の背後には子どもの学習権の思想が存在することを承認し、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられている、ことを自らも認めざるをえなかったようです。子どもの人権としての学習権を中核とした教育権法理を最高裁が肯認したこともまた、戦後裁判史の上で特筆大書に価する工ポック・メイキングな出来事であり、今後の日本公教育への影響は、はかりしれないものがあるといって過言ではないです。この判決で間題なのは、それにつづく論旨の中で、しかしながら、このような教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、憲法26条からは、当然には導き出されないとし、これを解決する考え方として、親には家庭教育や学校選択の自由を、教師や私学にも一定の教育の自由を、そして国家にも、それ以外の領域において、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の権護のため、あるいは子どもの成長に対する、社会公共の利益と関心にこたえるたあ、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、という平板な三分法を唱え、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせない、などとした点である。この判決は、教師の教育の自由、教育基本法10条解釈、教育における地方自治の理念など重要な事項について一般論としては、相当に進んだ理解をうち出しながら、いずれもその具体的な展開部分になると腰くだけに終るという特徴を示しています。これらの諸点については、今後の教育判例による発展が期待されるゆえんであります。
固有の教育法解釈をめぐる裁判ではありませんが、社会的に多大な影響を与えた教育開係裁判として、一連の勤評闘争刑事判決の頂点に立つ、都教祖事件最高裁判決と、のちにこれを覆した岩手教組学テ事件最高裁判決とをあげないわけにはいきません。憲法28案の労働基本権保障の趣意につきはじめて、本格的な判断を示し、我が国労働判例史上に輝かしい、モニュメントをうち立てたといわれる、全逓東京中郵事件最高裁判決を踏まえ、これを公務員一般の労働基本権保障にまでふえん・展開させたものであり、公務員にも原則として憲法28条の労働基本権の保障が及ぶとしたうえで、地方公務員の争議行為を全面的に禁止し処罰する地公法37柔・61案四号は、これを文字どおりに解するとすれば、それは、公務員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、こ処罰の対象としているものとして、違憲の疑を免れないであろう、と判示しました。この判決は、にもかかわらず合憲的限定解釈のアプローチによって明確な法令違憲の結論を避けたが、実質的にみるかぎり、実定公務員法をほとんど空文化するに等しい違憲判決であり、この判決により、公務員のストライキは刑事罰から解放されたとみるのが大方の評価でありました。これに対して、かねてより反発を示していた石田和外最高裁長官らタカ派グループが、裁判官の交替人事を利用してひそかにその機をうかがい、あたかも司法クーデターのように一気に判例変更をやり遂げたといわれるのが昭和48年4月25日の全農林警職法事件最高裁判決であり、これをそのまま踏襲したのがほかならぬ、岩手教組学テ事件最高裁判決であります。そこでは前二者がうち出した公務員に対する労働基本権保障の原則的承認、国民生活全体の利益確保の見地からの必要最小限度の制約の原理などは、ことごとく実質的に否定され、財政民主主義や勤務条件法定主義、その他私企業労働著との差異を理由とした、国民全体の共同利益、の名による公務員の争議権の絶対否認法制の合憲化がはかられています。これらの判決に加えられた厳しい世論の批判は、そのまま両判決のたどるべき途を暗示しているといえるでしょう。学園における、学生処分をめぐる裁判が戦後当初から数多く起こったことはすでに述べたが、なかでも私立大学における学生の政治活動を理由とした退学処分をめぐって最高裁まで争われた昭和女子大事件が有名である。
第一審の東京地裁判決は、私立大学にばは、独自の校風や教育方針をもつ自由が認められてよいが、これとても憲法、教育基本法等の適用下にある、公的教育機開であるから、思想の問題の取扱には寛客たることが、法的に要請されている、学生の退学処分はかれの、教育を受ける権利、を奪う最終的手段であるから慎重に行なわねばならず、事前に反省を促すなどの、教育的過程を践むことが法的義務と解される、としたうえ、処分にいたる事実経過を踏まえて退学処分を違法無効と断しました。たいして東京高裁の控訴審判決は反対の立場をとり、さらに上告審の最高裁判決はこれを支持して、大学は国公私立を間わず教育、研究のための公共的施設であり、学生を規律するために包括的権能を与えられているから、保守的な校風の大学が学生の政治活動にかなり広汎な規制を加えても、直ちに不合埋かつ違法な制限とはならない、退学処分について慎重であるべきことは当然だが、かかる処分も所詮は学校当局の教育的裁量に委ねられた自律的作用であり、つねに事前の補導が法的に義務づげられているとまでは言えない、として大学当局の発令した退学処分を是認した。同しこの事件に対する上、下級審の判決の違いをみると、両者の教育観や人権感覚にまだまだ相当の隔りが存することがうかがわれます。

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