教育を受ける権利

日本国憲法26条の教育を受ける権利は、国民の教育を受ける機会均等を経済的に保障しようとするものであり、そこには義務教育の無償制が併せて定められていると一般には理解されています。しかし、憲法上の国民の教育の権利については、さらに深く、なぜ国民に教育の機会均等を保障し義務教育を無償制にすることが必要なのか、それは何のためなのか、が考えられなければならりません。

スポンサーリンク

確かに憲法26案は、個人の尊重と平等原則を規定した13条、14条の趣旨を教育の面にも普及し、国民の教育を受ける機会の均等をあまねく保障しようとするものであるといえます。教育を受ける国民が、その身分や性別、あるいは父母の経済的、社会的な地位などによって差別されることなく、すべて国民は、等しく、その能力に応じる教育を受ける機会を与えられなければならないのであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または、門地によって、教育上差別されないことを、保障しようとするものであです。その目的は、戦前のわが国では幼い子女が、しばしば芸者に身売りされることなどがあったように、多数の生活困窮者の子女が、主として経済的理由から初等教育を、受ける機会をすら失っていたという歴史的事実にかんがみ、そのような状態を事前に防ごうとするためでありました。憲法が国民に教育の機会均等を権利として保障しようとした以上、国は、その実現を義務づけられ、義務教育は無償とする建前が採られたのであります。そうだとすれば、たとえば国は、学校にかぎらず、国民が必要とする教育の施設や設備を積極的に拡充・整備しなければならないし、その施設等が不充分で私学などがそれを補完しているような場合には、そのために負担する分は、当然に国庫で負担なければならないのです。現実には、義務教育の無償も、授業料の無償すなわち不徴収と教料書の無償配付が実施されているにとどまり、反面、教科書の国定化への方向が危倶されている、いまだ教材・学用晶等の義務教育必需費の完全無償の実施にはいたっていません。かえって義務教育費の無償が憲法上に明文化された戦後の現在のほうが戦前とくらべて遥かに国民の教育費負担が多くなっているという皮肉な状態となっています。そのため、PTA費や給食費が払えなくて、恥ずかしいから行きたくない、という理由などの長欠児や未就学者が増加したり、夜間中学が依然として存在したりします。これでは教育の機会均等も実質的な保障にはなっていないといわざるをえないです。政府の、なすべきをなさざる義務の違反が責められるべきところであります。
教育の機会均等を憲法が保障しようとする越旨は、国民に生存のための案件を平等に保持させようとするためのものと、理解されなければならなりません。もとより教育を受けることは、国民にとって、その生活能力とりわけ労働による生活保持の基礎をなすことであり、国民が健康で文化的な生活を営む、生存のために必要な基礎条件であります。憲法25条が、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、と規定していることと考え合わせれば、国民の、教育を受ける権利は、その具体的な保障手段として国民に保障されたものであると考えられます。そのような社会生活を営むために必要な案件が満たされるための権利として、つまり、生存のための労働の意義を理解し、その意欲と能力を修得しうるよう全面的に発達することが、教育によって保障される権利である、とその権利の性格は評価されるべきであります。教育の機会均等は、形式的な就学の保障ではたりず、実質的な修学の保障に重点がおかれるのでなければ、せっかくの個人の尊重と平等原用を教育の面でも実現させようとする本来の趣旨にも反します。憲法論理からすれば、義務教育費の完全無償は当然のこととなるし、その上、教育扶助や教育補助などの制度も、拡充されなければなりません。また身体障がい児などは、義務教育への就学が、免除されるというのではなく逆に、その能力に応じて、より手厚い保護をうけて社会に生存するための労働の意欲と能力とを、修得しうるよう全面的に発達することが修学によって、保障されるべきであるという論理となります。実質的な教育の機会均等を保障する権利として、国民の教育の権利は、今後は、なお社会保障・社会福祉を拡充させ、いわゆる教育保障を実現させる権利として評価していかなければなりません。
教育を通じて、国民に生存のための条件を平等に保持させることによって、はじめて、自主的精神に充ちた心身ともに、健康な国民の育成による健全な民主的政治秩序の維持・運用がはかられ、教育基本法前文がいう、そうした状態が、教育の力にまつという期待が実現されるようになるのであります。換言すれば、憲法26条の教育を受ける権利について、もう一つ重要なことは、それをつぎのように評価すべきであるということです。国民は、教育を受ける権利を憲法によって保障されたが、ただ国民は教育を受けられさえすればそれでいいのではないです。だから国民の、教育を受ける権利とは、どのような内容あるいは方向の教育を受ける権利なのか、が同時に考えられなければならないのです。ところで日本国憲法は、とくに教育のあり方について、その目的や方針などを規定はしていません。そうかといって教育が、政治権力の恣意にゆだねられているのではないです。主権者たる国民自身が、憲法の方向づける、将来の平和と民主主義の国としてのわが国の次代の主権者を育成するのでなければならない。したがって、国民の、教育を受ける権利とは、そのような方向のそのためにふさわしい内容をもつ教育、それを受ける権利である、という評価が必要とされるのです。戦後の教育改革による憲法・教育基本法制は、教育の権利として、そのような主権著教育に大きな期待をかけていたといいえます。

教育法の意義/ 教育法の沿革/ 戦後教育改革の成立/ 教育法の展開/ 教育法の体系/ 教育法の法源/ 教育法の解釈/ 教育法の解釈の特殊性/ 教育裁判/ 教育基本権裁判/ 教育法の基本原理/ 教育を受ける権利/ 学習権の意義および主体/ 学習権/ 機会均等の原理と能力主義/ 青年の人権/ 男女共学の理念/ 教員の教育の自由と責務/ 研修権/ 個人的権利から集団的権利へ/ 父母・住民の教育権と責務/ 義務教育と父母の地位/ 父母や住民の教育への要求と権利/ 国民の学習権/ 教育の自主性確保/ 教育の内的事項と外的事項/ 教育内容と指導助言権/ 教育の条件整備/ 公費負担と無償教育/ 教育行政の中立性/ 教育における地方自治/ 教育行政の地方分権/ 教育における住民自治/ 住民自治と学校自治/ 平和と民主主義の教育/ 教育の公共性/ 教育の政治的中立性/ 国民共通の教育/ 学校体系の意義/ 就学前教育/ 義務教育/ 高校教育/ 大学教育/ 私立学校/ 入試制度/ 学校の内部管理の意義/ 教員と職員会議/ 校長、教頭および主任の職務/ 学校の内部管理における児童生徒の地位/ PTA/

       copyrght(c).子育てと育児.all rights reserved

スポンサーリンク