学習権

教育を受ける権利は、今日では、憲法の人権カタログの一つとして明記されることが当然のこととなりました。日本国憲法も、その第26条に、すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有すると規定しています。この規定は国民の学習権思想を前提に、その権利を、教育を受ける権利としてすべての国民にひとしく、その機会を均等に保障すべきことを法的に規定したものです。言い換えれば、この規定は、子ども青年の人間的成長発達への願いと、学習が発達にとって不可欠、不可分のものという認識と、これを権利としてとらえる自覚に支えられているといっていいでしょう。ここで、ひとしくという文言は、教育の内容の同一性を意味するものではなく、この権利の平等性、普遍性を意味するものです。教育を受ける機会が、すべての国民に平等に開かれており、人種、性別、社会的身分、門地によって差別されないという意味での機会の平等を意味するものであり、その機会を利用するかどうかは、第一義的には、各人の選択の権利に属すると考えられています。

スポンサーリンク

教育を受けることが、各人の選択の自由に属するとすれば、それを放棄する自由も各人に許されているかどうかが問題となります。学習、教育は、本来的に人間的存在にかかわり、人間が人間であろうとするかぎりにおいて、学習、教育を放棄することはできないのであり、その意味で、学習、教育は、人間の人間としてのあかしだともいうべきであり、それを放棄することは人間であることを放棄することに等しいです。しかし、現実の学習、教育が、必ずしも、人間の存在にとっての本質的なものとはなりえていない現実があり、そのかぎりにおいて、学習権は、与えられた教育を選び、場合によっては拒否することのできる権利でもあるが、しかし、学習そのものを放棄することは、人間の本質を失うことに通じています。なぜなら、学習権は、人間という種の本質に深くかかわっており、人は、学習することができるように生まれているのであり、生まれた時にもってなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によってあたえられる。そして、このような発達と学習の可能態としての子どもの時代に、文化の伝達と学習を通して、人類の種は、人類として持続し続けてきたのであり、人間が、初め子どもでなかったなら、人類は、とうの昔に滅びてしまったにちがいないのです。その意味で、子ども・青年の学習権は、その子どもに帰属する権利であると同時に放棄してはならない義務でもあるといっていいでしょう。それが、人問なるものにとって不可欠のものであるが故に、何人もそれを奪ってはならず、また譲り渡してはならないという意味で、基本的人権の一つだといえます。人間は、まず、自然を事物のおきてのなかで、それに従うことを学びつつ成長します。しかも、発達の過程に則して、より具体的にそれをみれば、人間の子どもは、弱く生まれるのであり、人問的な環境のもとで、周囲の適切な保護、配慮なしには、人間になりえないです。このことは、野生児の事例が如実に証明してくれています。そこでは、人間的環境の有無は、人間的情感の発達や言語能力の発達にとって決定的だといってよいでしょう。このことからわかるように、人間が人間になるためには、社会を必要とするという意味において人間は社会的な存在であり、人間から社会を奪えば、人間は人間でなくなります。そして、各人が学習するのは、まさしく人間的関係のなかにおいてであり、母親や父親のほほ笑みや、励ましの言葉への情動的反応は社会的交りの第一歩にほかならなりません。また、その本質において社会的な言語の学習は、人間の社会性を証明するものだといるでしょう。学習の根拠は、個としての人間存在の内にあるとともに、社会的存在としての人間の本質のうちにあるといってよいでしょう。人間が共同社会のなかで、社会的生活を送るためには、その社会の言語を学び、ルールや価値基準を知り、それに従うことが求められるとともに、その社会につねに新しいものを加えることが次の世代に期待されています。このような、人間の社会的存在としての本質からみてもまた、各人は、その学習の権利を放棄する権利はもたないというべざでしょう。同時に、この権利は、とくに、発達可能態としての子ども青年にとっては、自己充足的権利ではなく、周囲の配慮のもとで、その権利を保障することが必要であり、その意味においても、この権利は、権利として特殊な位置にあるといえます。
人間は、その生涯を通して学習し続ける存在である以上、学習の権利は、各人の人生の出発点から、生涯を通しての権利であります。とりわけ、可遡性に富む、子ども・青年の学習権の意味は大きいです。その発達の段階にふさわしい学習が保障されていないと、それは、直接、間接に、彼の人生とその生き方を左右し、その他の人権の具体的内実に影響をおよぼすからであです。学習と発達は不可分一体のものであり、学習権と発達権も一体のものであります。子どもは、その出生以来、すでに母胎環境を含めて、よい環境のもとで育てられる権利を有するのであり、家庭の文化的・発達的環境はもとより、保育と教育の施設で、適切な配慮がなされ、子どもの遊び場で、仲間集団のなかで、活発な活動が十分に保障される必要があります。とりわけ学校では、教師、教材、教具、教科書等が適切に配置されていることが不可欠であります。また教師には、教育技術とともに人間的な豊さが求められ、さらに事務職員、用務員、みどりのおばさん等を含めての、全教職員の、子どもの発達保障という観点での一貫した配慮と、協力が必要であります。さらに、発達保障のためには、その学習を保障する教育と、その子どもの生存と生活を支える福社とが結合され、統一されて、はじめて発達の保障は可能になります。学習権は、就学の権利にとどまらず、学校での教育の質を方向づけます。学習権の法的規定としての「教育を受ける権利」の解釈においても、この点が強調されてよいです。ユネスコの依頼に応じて、世界人権宣言26条の注釈を行った、J‐ピアジェは、そのなかで、教育を受ける権利は、あらゆる水準において、社会的または教育的な要因が、発達の条件をなしているということを主張することであり、学校を完全な知的感情的発達の不可欠な条件をなす形成的環境にすることである、と述べ、さらに、教育を受ける人権を肯定することは、だから、各人に読み書き算の取得を保障するよりも、はるかに重い責任を負わすことであります。それは本当の意味で、すべての子どもに彼らの精神的機能の全面的発達と、それらの機能を現在の社会生活に適応するまで行使することに、対応する知識ならびに、道徳の価値の獲得とを保証してやることである、と述べている。学習権の保障に関する重要な指摘だといえます。

教育法の意義/ 教育法の沿革/ 戦後教育改革の成立/ 教育法の展開/ 教育法の体系/ 教育法の法源/ 教育法の解釈/ 教育法の解釈の特殊性/ 教育裁判/ 教育基本権裁判/ 教育法の基本原理/ 教育を受ける権利/ 学習権の意義および主体/ 学習権/ 機会均等の原理と能力主義/ 青年の人権/ 男女共学の理念/ 教員の教育の自由と責務/ 研修権/ 個人的権利から集団的権利へ/ 父母・住民の教育権と責務/ 義務教育と父母の地位/ 父母や住民の教育への要求と権利/ 国民の学習権/ 教育の自主性確保/ 教育の内的事項と外的事項/ 教育内容と指導助言権/ 教育の条件整備/ 公費負担と無償教育/ 教育行政の中立性/ 教育における地方自治/ 教育行政の地方分権/ 教育における住民自治/ 住民自治と学校自治/ 平和と民主主義の教育/ 教育の公共性/ 教育の政治的中立性/ 国民共通の教育/ 学校体系の意義/ 就学前教育/ 義務教育/ 高校教育/ 大学教育/ 私立学校/ 入試制度/ 学校の内部管理の意義/ 教員と職員会議/ 校長、教頭および主任の職務/ 学校の内部管理における児童生徒の地位/ PTA/

       copyrght(c).子育てと育児.all rights reserved

スポンサーリンク