父母・住民の教育権と責務

人間の子どもは、他の諸動物に比して生理的早産、身体的未熟というハンディキャップを背負って誕生してくるものなのである、ルソーは、その著、ユミール、のなかで、人間は弱く生まれると書きしるし、この人間の弱さを彼の教育論の原点に、設定していることは周知のとおりです。このルソーの文学的・哲学的ともいうべき人間の子どもの弱さの規定を、スイスの動物学考ポルトマンは、人間についての生物学的断章において、生物学的に解明しています。ポルトマンの解明に待つまでもなく、われわれも経験的に人間の赤ん坊の弱さは熱知しているところであります。乳幼児の自衛、生存のための本能的行動様式の弱さに代表される、弱さがそれです。未熱で弱く生まれるということは、固まって生まれてこないということでもあります。すなわち、柔かく生まれてくるということであり、可塑性高く生まれてくるということです。この、弱いがゆえにそなわっている、可塑性の高さが、人間の子どもの本質であり、このことが、人間の子どもに無限といっていいほどの発達の可能性を保障する基礎的な条件になっているのです。しかし、この発達の無限といっていいほどの可能性は、あくまでも可能性であり、どのような可能性をもっているかということは、この時点では誰にもわからないものなのです。働きかけいかんによって、人間から非人間化にいたる可能性をもっていることは、1920年、インドの森の中で発見された、狼に育てられた子どもたち、の記録などをみれば明瞭です。この記録を読んだフランスの大脳生理学著ソシアールは、その著、言語と思考のなかで、さすがに人間の子だ。よくも狼になったものだ、と述べているほどです。人間の子どもを、人間に育てあげることほど、手間と時間のかかるものはないのです。子どもたちは、大人が意図的・無意図的に働きかけるなかで、自らの弱さから出発し、人的・物的な環境との相互作用によって、物事を選びとりながら、強い人間へと発達し、その可能性を現実性へと転化してゆかなければならないのです。発達とは、試行錯誤を含んだ選びとり、探究の過程であり、新しい働きかけを同化しつつ、既存のシエマを新たな状況に合せ調節することです。学習とは、この同化と調節の過程そのものです。その意味で可塑性高き子どもの、その本質である発達の可能性を現実性に、次々と転化する発達の過程は、学習の過程にほかならないのです。

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家永裁科書裁判に関する、東京地裁杉本判決は、この子どもの本質に即して、子どもの学習権と国民の教育の責務を、次のように主張しました。子どもは未来における、可能性を持つ存在であることを、本質とするから、将来においてその人間性を十分に開花させるべく自ら学習し、事物を知り、これによって自ら成長させることが、子どもの生来的権利であり、このような子どもの学習する権利を保障するために、教育を授けることは国民的課題である。子どもの教育を受ける権利に対応して子どもを、教育する責務をになうものは、親を中心として、国民全体であると考えられます。
教育を受け、学習し、ひ弱な子どもが、たくましく豊かに成長するということは、この判決が示すごとく、子どもが人間として生存するための生来的権利であり、生存権的基本権のいわば文化的側面であり、それを保障するための家庭教育、私立学校の設置などは、このような親をはじめとする国民の自然的責務に由来するものというべきものであります。親が子どもを教育する権利は自然権であるともいわれたが、これは、教会や国家権力の教育への介入に対する教育選択の自由への主張としてなされたものであり、この親の教育権を親各個人が希望する内容の教育を自由に選択し、子どもに与える権利として把握することは十全ではありません。子どもたちが、生存権的基本権の文化的側面として、教育基本法の規定する、個人の尊厳を重んじ、真理と平利を番求する人間の青成を期す、普遍的にして、しかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を受け、健康で文化的な生活を営むためには、真理・真実を学び知らなければならないことは、言をまたないです。それなくしては社会の主人公たりうる、人格の完成もありえず、子どもの学習権の充足もありえないのです。今日では、親の教育権、それに伴う教育の自由は、より積極的に、この子どもの真理・真実を学ぶ権利を保障する親、国民の責務としてとらえられ、国家権力などの不当な教育への介入などに対する権利主張として、より社会的な権利として主張されてきています。すなわち、親の教育権は、子どもに真理・真実を探究させ、学びとらせるために、教育の自由を確保し、子どもの生来的権利としての、学習権を保障する責務をもつものなのです。現代においては、親の力量のみで、わが子を理想的に教育することは困難であり、不可能に近いです。そこで親は、社会的事業として設立した公教育としての、学校教育にわが子を入学させ、教育を専門職とする教師に、子どもの学習権の保障を信託しているのです。したがって、子どもを教育する親・国民の責務は、主として教師を通して遂行されることになり、親・国民の教育の責務と教師の教育の責務とは不可分一体の関係をなすものとなっています。この不可分一体の関係は、子どもに真理・真実を教え、子どもの学習権を保障することを通しての生存権の保障への信頼関係であり、この開係の確立こそ今日的急務でしょう。

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