国民の学習権

国民の学習権とは、子どもをはじめ、国民一人ひとりの、生涯にわたっての学習の権利と自由を指します。学校など教育機関、地域社会、家庭とともに、国、自治体の教育行政もまた、この国民の学習権を保障する責務を分担しますが、その責務は、あくまでも人間の発達と学習を中心とする教育の特質に根ざしたものでなければなりません。このような見地から、教育基本法一〇条は、教育行政の任務と限界を定めています。
本来、国民一人ひとりがどう人格や思想を形成していくかという問題は、国民の自由にまかされてよい領域です。教育は、国民のこの精神的内面的価値形成(人格形成)を左右するほど大きな影響を与えるから、国民の憲法的自由が確保されなければならない分野です。このような見地に立って、教育基本法一〇条は、国民の精神的内面的価値に対する権力の不介入という原則を基本に制定されたものです。
これは、教育基本法立案の中心にいた田中耕太郎文部大臣が「権力国家的思想即ち国家が正邪善悪に超越する存在なること又は国家が正邪善悪の尺度を規定し国家に有用なるもの即ち正且つ善なりとの思想を排撃することを」基本方針としたことにもみられます。さらに、それは、教育基本法のレベルにかぎらず、教育行政改革においても、新しい文部省の役割として、「思想、良心、宗教、言論、出版等の精神活動の自由に関する基本的人権の保障に、不断の関心を払い、科学、技術、芸術、教育その他文化の実体に干渉してはならない」ことが期待され、文部省設置法へと結実して行く教育の実体をつくる仕事は、国民の自由に委ねられたのです。

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次の時代の国民を形成する教育は、真理、真実に忠実であり、学問の自由を尊重し、教育科学をはじめとする諸科学の成果に依拠して行われなければならない。ところが、現代議会制においては、多数決原理によって「教育においてこそ党派的見解が普遍的真理とされ、党派的価値が普遍的価値とされやすい」という問題状況を生んでいます。いいかえれば、教育が政治に従属し、真理の伝達が時々の多散見の意向に反する場合には、いちいち権力によって圧迫する、あるいは、科学的真実に反して多散見の意向通りに行うことを強要するという事態が起こりやすい。しかし、あくまで未来を準備する教育と現実生活を問題とする政治では、本質的な差異が存在します。とりわけ、教育は、干どもの多様な発達と個性の全面開花を約束するものであるから、多数決原理により画一的な価値観を押しつけることとは本来なじまないのです。議会主義論が、教育内容や教育活動に対する権力統制を合理化する根拠とならないのは、以上のような理由からです。
国民の価値形成に密接に関連する教育内容や教育活動にたいする権力不介入を教育行政の限界とすれば、その積極的任務は、国民の学習権を守るための物質的財政的保障、すなわち教育の条件整備にあるといえます。国民の学習権の物質的保障は、法律、法令によってその整備が大いに促進されなければなりません。ここに、国会をはじめ自治体の議会や教育行政当局などの重要な役割があり、議会主義論の存在理由があります。
しかし、教育の条件整備のあり方は、教育そのものの成否を左右するから、教育の権力統制を結果しないという限界を有するとともに、父母、教職員など教育関係者をはじめとする国民の願いや要求に即したものでなければなりません。まさに、教育行政に要請されるのは、国民の精神形成の自由に干渉せずに、国民の学習権を保障するサービス行政であり、統制のない援助が真髄といえます。

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