親子間の葛藤と断絶

 いかなる精神的な防衛手段を用いても、大衆化現象のなかで発生してきた断絶はこれを防ぐことが困難のようです。
 アメリカのすぐれた心理学者たちは、ここ数年来、家庭の崩壊を憂慮して、さまざまな方策を検対している。親子関係もこれを心理的な側面からみると、以前とはことなった状態だといわれます。
 このような現象は決してアメリカだけのことではなく、かなりはやいテンポで日本にも波及しているにちがいありません。文明の姿が、これだけはげしく移り変っていくと、人間関係の行動型もそれにおいついていくことができません。夫婦の間も兄弟姉妹の間も、そして親子の関係も、従来のようなしっとりとした、味のある人間関係を維持していくことができません。一つの家庭のなかに同じ家族の構成員として住んでいるという形式はつづけられていても、心が通じ合った状態で共感し同情し合うようなかかわり合いを期待することはもはや不可能です。心理的にはそれぞれバラバラで、まとまるはずがありません。ここ数年の間に、こうした現象は急速にひろがってきたように思います。ひと頃は、親子の心が通じないと、家族会議などを開催すればいくらかは一致したかのようになりました。この頃ではそんな方法ではとても家庭の雰囲気がぴったり一致するようなことはなくなっています。

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 学校では、教師と生徒との間の意識の断絶は決定的であるという。友人関係はたとえ表面的であっても、結びつきと、つながりを保っているかもしれません。これからますます、多様化し複雑化してくるにつれて、親子関係は、むしろ断絶していないとうまくいかないのではないか。実は過去のたのしい家庭は崩談しつつあるとみた方が正しいのではないか。勿論、このような断絶倫を否定する人たちもいますが、そうした人は社会の動きにかかわり合いをもっていない人のようです。
 親が子どもに対して熱心に努力し期待をもてばもつほど、子どもの心は社会との関係のなかで、ちがった方向にすすんでいきます。父親の家庭内でのあり方なども、社会のはげしい変化に影響されてどうしても無責任な態度を子どもに対してとっているような結果となっています。無理に子どもに適応するような行動をとってみても、心のつながりをもち合うところまで深くかかわることができません。
 このように世界の文明史的現象としてあらわれてきたこの世代間の葛藤や、親子間の断絶現象は、大きな歴史の流れのなかからあらわれてきたもので、ここしばらくの間は、一時的な現象として、変わるものではありません。むしろ自然ななりゆきとしてみれば、断絶がやがて消えていくのを静かにみまもっているより仕方がないようにおもわれます。
 子どもからみた親との断絶は、子どもの社会化に向う過程だとみれば、むしろのぞましい現象として考えられますが、親からみた子どもの心との断絶は、かなり異常なことと受けとられる筈である。親の子どもに対する態度を変容させない限り、親の気持は不安定で、希望のある親子関係を発展させていくことはできません。ある教育学者は親子の断絶を強く否定しますが、考える出発点がまるでちがうようです。なかでもわが国の都会生活は、アパートやマンションがこれからますます増えてアメリカ式の生活になり、人間関係の力関係はもちろん、心のつながりも大きく変っていくでしょう。集団や小集団の力関係も変わり、家庭の役割や家族生活の意義までも根本的に変わるでしょう。
 親子間の話し合いは、事務的な連絡や約束にすぎなくなり、集団のなかの孤独な現象は、一層そのはげしさを増すでしょう。余暇の利用などの行動においても、親子のつながりをどこまでまもったかたちで、たのしかことができるでしょうか。わが国の長い伝統のなかでつちかわれてきた文化までも、いま破壊されようとしています。まさに心理的公害となづけてみることができます。

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