子供の表情

 生後一年間の乳児の表情の変化ほどはげしく、また私達にとって興味ぶかいものはありません。生まれたばかりのひとの赤ん坊はまるで無表情で、時として顔中をしわだらけにし体をふるわせて泣き叫ぶ。人間の子どもというより猿の子に近い。しかしこの赤ん坊も二、三ヵ月経つと近付く大人にむかって天使のようなほほえみを浮べます。この愛らしさはこの世のものとても思えぬくらいです。更に三、四ヵ月ののち同じ赤ん坊に対面すると以前のにこやかな微笑はどこへやら、疑かしげに固い表情で母親のかげからじっと、こちらを凝視します。一年の誕生を迎える頃にはよろこびや愛情、怒り、恐怖などの表情が子どもの顔に読みとられるようになります。顔付きもはっきりとしてきてよほど人間の子どもらしくなります。表情にも個人差がみえてきます。こうして乳児の表情の発現するゆえんをたどっていくと、そこにはきまって子どもと他者とのかかわりを見出します。生後一年はまさに人の子どもが人間になっていく社会化の過程であり、それは情動を通じて実現します。

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 乳児は生まれてから一年間の大部分を自己保存のための準備状態をつくり出すために費さなければなりません。このような発達課題はいうまでもなく生活体に生来的に備わっている装備と成長への潜在力によって実現されていきます。しかし、生まれたばかりのひとの赤ん坊はまったくの能なしで、自分で生命を維持する術を知らないので、子どもは環境に決定的に生存の鍵をゆだねることになります。乳児の環境は子どもを現実にとり囲み、これに働きかけるものの全体から構成されています。このような環境からの諸力は母親を媒体として子どもに働きかけます。その意味で人生のどの時期にもまして、乳児にとって母親は環境因子を代表することとなります。しかし、生まれたばかりの赤ん坊はこの唯一の援助者さえも自分と別個の実体としては受けとっていません。それは彼にとっては要求と充足の一部にすぎないのです。この時代、母と子は子どもがこのように無援の存在であるため、きわめて特殊な関係におかれます。物理的には母体から分離していても、両者はジンメルのいうように、デアディックな間柄、いわば、母子共権的な閉じられた体制の中に生きています。もっともこの体制は生後一年の間に明らかに、かつ急速に変化し開かれていく乳児の神経機能の成熟に伴って、外界の特殊化が進み、環境への働きかけも積極的となるにつれて、子どもは母親を人間一般から、他をもって代えることのできない特定の対象として自分から対立させることに成功します。このとき子どもは自我をわがものにするようになり、ここから子どもの人格の発達がはじまるのです。この自他の分離、他のことばでいえば、対象関係の成立こそ人格の起源であるということができます。これを境として対象である母親の表情・言動を模倣することができるようになります。模倣は母、子の情動的心ばえの反映です。
 生後一年のこのような乳児と人間対象との相互作用を通じて展開する社会化過程は、情動のあらわれとその分化のあとをたどることによって見出されるでしょう。
 それに先立って、表情とは何かを生理的側面と、社会的側面の二面から明らかにしておかなければなりません。

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