ほほえみと人間関係

 乳児は最初から人間を自分自身と同じ種の仲間とみなしているわけではありません。この年齢の子どもにとって人間も他の多くの刺激の一つにすぎないでしょう。ひ とは生きているから他の生命のないものより一段と反応的です。それは日常生活のなかで、乳児の側の数々の要求を充たすために近よってきます。そのときに示されるのは正面の顔の形態です。この顔は生理的緊張とそれが解発される際に結びつき、一方では乳児の成熟と相伴って記憶に刻印されていくうちに、条件反応の学習過程を通じて、この顔の形態が示され、視線が結びつきさえすれば微笑が生じるようになります。ここで子どもの要求充足のために奉仕するのは主として母親です。しかし、この段階においては、母親は子どもの中に特殊な位置を占めるところに至っていません。いわゆる三ヵ月の微笑の段階で真の愛対象となるまでの前駆的現象、部分対象に過ぎません。真の対象になるまでには子どもの内部の成熟が前提条件となり、乳児、対象間の互恵的相互作用が繰り返されます。すなわち、自分に示される微笑を通じて、乳児は対象から種々の潜在的強化刺激を受けることとなります。その上、しばしば示される人間の視覚的刺激は子どもの一次的要求の解発と結びついて、乳児の記銘を強め助けるでしょう。

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 六ヵ月以後、正常な家庭で情動的供給が適当に与えられている子どもならば、母親やその他の家族成員と見知らぬ人とを、弁別することができるようになるでしょう。その頃はじめて子どもの笑顔は愛情、好意、愉悦の感情を、ある特定の場合、特定の相手にむけてあらわす意味論的性格を帯びてきます。ここにおいて乳児は対象に対して選択的に微笑することができるような発達段階に到達したといえるのです。この微笑の発現時点は家庭児と施設児で顕著な差があったことは前に述べた通りです。家庭児でも、両親の子どもだけの核家族の場合より、多人数家族の子どもの方が多少おくれて、七、八ヵ月になることもあります。
 人間対象に対する無差別的微笑の停止の事実は、乳児の社会関係の正常性を物語る指標です。この関係は後の社会関係の基本であり、社会関係の型を決定するものと考えられます。したがってこのような微笑反応が発達の途上で前述の期間にあらわれないかまたは、はなはだしく遅滞することは、そのこと自体が徴候的サィンではあるまいかと疑われます。
 人みしりの現象は心理学的に何を物語るでしょうか。多くの心理学者は乳児後期にみるこの現象を未知の者に対する恐怖と呼んで、その現象に注目しています。しかし人みしりは恐怖反応ではありません。恐怖は意識上の記憶に関連しておこるのです。子どもは以前に何らの不快の経験をこの未知の人に対してもったことはないからです。スピッツはこれを「八ヵ月の不安」と呼んでむしろ母子関係の正常な成立のインデックスと解しています。つまり、子どもは母親の顔の記憶とそれによって導かれ、備わった弁別力で未知の人に対決するわけですが、それが母親の顔でないことを発見するとき、母親に置き去られた時と同様の不安を経験する。一九六一年家庭児と施設児を対象として「人みしり」の実験を試み、母親に抱かれている場面と母親不在の場面及び急に退座した場面に実験者が近付いてどのように子どもの反応が変るかを親察しました。実験場面で人みしりで泣いている最中に、実験者がくるりと背をむけると子どもは泣きやめる。このような反応は母親と未知の人の「顔」に対する記憶が薄らぎ、不安然も薄らいだと解されよう。いわばこの第三段階は微笑が見馴れた対象に選択的にあらわれたように、不安が未知の顔の弁別から生じるのです。この人みしり現象をスピッツは、リビドー対象との関係成立のオルガナイザーとして重視しています。すなわち、この人みしりのあらわれをもって対象関係の成立を告げることができるというのです。
 乳児の精神発達を刻明に追っていくと正にこの事件が発達の臨界点であることを認めざるを得ません。というのは、この時を境として精神発達の全領域にわたって、発達のテンポが急に遠くなる。情動の現われも更に細かなニュアンスを帯びてくる。不快、恐怖、不安、失望、嫉妬など、他面ホメオスタシスの状態から快の感情、ある特定の者への愛情・同情があらわれます。社会的あそび、玩具をたのしむこと、所有の感情など多岐にわたる情動が分化してきます。これは前段階よりもはるかに複雑になった人間関係の発遠のなかに見出されます。

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