劣等感のあらわれ方

 幼児期の後半、五、六識頃になると幼稚園等集団の中に置かれる機会も増え、自他の能力をある程度見分ける力もできて来るから、劣等感の芽生えらしいものが生れても不思議ではありません。しかし、まだまだ子どもたち同士競争という関係も少い。あそびの集団の中では真の劣等感というものは生じません。本格的な劣等感が生じるのはやはり学童期、それも二、三年生になってからと考える方がよい。その意味で先の母親の心配、学校に入ってから劣等感をもつのではないかという心配は、その限りに於ては当っていると云えるでしょう。

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 子どもの劣等感が、大人や青年のそれと異なる一番大きな点は、意識されているか否かという点でしょう。「大学生の90%が劣等感をもっていた」というような調査が示すように、青年期は自我が敏感になって劣等感をもち、これを強く意識する時代です。しかし学童期の子どもは自己の感情に目を向けたりはしません。彼等の目は自分以外の世界、外界に向かって開かれています。したがって一般に劣等感をもつことは少く、劣等感をもつ児童は多かれ少なかれ一種の問題児です。自我の未熟な子どもは青年のように劣等感を抱いてひとり悩むという形はとり得ません。必ず無意識のうちに防衛機制が働らき、何等かの行動に表わしてしまうからです。その結果劣等感は当人には余り意識されず外から何等かの形で推定する他はありません。「劣等感検査」というようなテストがいくうも作られながら、実際に活用されていないのも、この点に一つ問題があるのではないでしょうか。
 さて一般に劣等感をもった子どもの行動として、まず例として一つのケースをあげましょう。
 A君は小学校四年生です。一年生の二学期から学校帰りの道草が多くなり、暗くなっても帰って来ないため母親が探しに出る事がたびたびありました。約束させても、叱っても、たたいても彼の道草は止まず、母は疲れ切ってしまった。四年になってからはまた激しさを加え、夜中の一二時頃漸く帰って来たり、途中で小さい子をおどして金をとる、自転車を盗んで乗り捨てて来る、というような非行にまで発展しました。母親は思い余ってある相談機関を訪れたのでした。
 まず家庭環境をみると、Aは独り子であるが、知人を介して満二歳の時貰い受けた養子です。本人にはまだその話をした事はないと云う。父親は中企業の幹部クラス。Aのことは可愛がって居り、時にはきびしく叱るが、すぐ気分を変えて一緒にすもうをとったりするので、Aも父親が大好きです。しかし残念なことは仕事が非常に忙しく、たいてい夜遅くでないと帰宅しないし、日曜も二回に一回は仕事に出かけなければなりません。
 母親は自分でも認める通り物事を堅苦しく且つ悲観的に考える方で、とても父のように子供と一緒にあそぶという気持にはなれません。ついつい叱言と愚痴に終始し、余り云う事をきかないと、三回に一回は手が出てしまいます。
 また父方の祖母が別棟だか同居(食事は一緒にしている)して居り、祖母もAのしつけについて口出しする事が多く、三人の育児がグラグラです。
 次に学校問題を見ると、知能は低いと思われないのに(IQ一〇五で正常)勉強は全くしない。宿題は一切しない。授業は気の向いた時だけきいている。他の時はぼんやりと別の事を考えているらしい。したがって成績は下位である。それよりも問題なのは学級のルールを守らず自分勝 手なこと、気にくわないと乱暴をする事も多いので、友人からはすっかり敬遠されてしまっています。唯一の救いはAが学校を嫌っていない事で担任にもなついているようにみえます。担任も何とかしで本人を立ち直らせたいと努力はして来たが、叱ってもケロっとしてまたニコニコとついて来るAに対して、手がかりがつかめない様子でした。Aの方からは友人の仲間に進んで入りたがるのに、今のべた理由で、せっかく仲間に入れて貰ってあそんでいても、結局のけ者にされてしまうことが多い。仕方なくAは、遊んでくれそうな相手を求めて遠くまで遠征することになり、その結果帰宅がますます遅くなったり、自転車に乗って帰りたくなったりするのだった。前に述べた事件も、おなかがすいてパンを買うためでした。
 Aに会ってみると、想像していた印象とは異なりニコニコと人なつこい子どもで、いわゆるひねくれた、いじけた印象は全くないが、反対にケロっとしすぎていて奇異な感じを受ける程でした。「ここへ来たのは自分が道草を食ったりいろいろ悪いことをして、いくら注意されてもやめないから」等と平気で言ったりします。学校は友だちとあそぶのが面白いから好きだと言います。友だちからのけ者にざれるようなことはないと言い、担任や母親の話とは大分くい違っている。道草の理由は、帰ろうと思ってもついあそびたくて、あそんでいるうち遅くなると叱られるのが嫌で余計帰り辛くなると言います。
 勉強は嫌いだからしない。やれば出来ると思う、と言ってますが、悪い点ばかりのテストを決して母に見せようとしないのは、やはり彼なりに点数を気にしていると考えられます。
 A君についてとられた処置を述べる前にもう一つ対称的な例をあげてみましょう。
 B子は二年一組の最劣等児です。成績は最低、クラスでは指名されても絶対答えない。下を向いてもじもじしているだけです。授業中におしっこが云えなくてもらしてしまった事も何度かありました。休み時間も友だちとあそぶこともなく、すみの方で小さくなっています。話しかけられると、首をふるか、蚊の鳴くような声で漸く答えるのでした。担任は知的障害児と思い、特殊当級に廻すつもりで知能検査を依頼して来た。ところが、意外なことに一対一で知能テストをしてみると、IQ96という数字です。これでは正常中位の知能ということで、学業の成績とは全く相い容れません。調べてみると家庭的なハンディキャップが大きかった。B子の家庭は母親が四年前に死亡した父子家庭です。父親は実際に身体も弱いのだが、それをロ実に働かず、生活保護を受けている。殆んど生活能力を失ったような男で、子どものことで相談があるからと担任がいくら連絡しても学校に来たことがない。たまりかねて家庭訪問した先生の目にまず入ったのは、足のふみ場もない程部屋中にもらかっか空ビンと空き缶であり、それらの空き缶の中の吸がらの山であった。もっと、とも子の学習に関心をかけてやること、せめてもう少し身の廻りの世話をしてやること、という担任の言葉にハイ、ハイと答える父でしたが、実行する能力も意志もないことは担任自身よく分っていました。検査の結果から特殊学級の話は立消えとなっりましたが、B子の状態は相変らずです。
 さて、この二つの例を見ると、劣等感の現われ方に大分差があることが分かります。後の例の場合は、B子が劣等感をもつていることはかなりはっきり見てとれる。小さい声、オズオズした態度、引込思案は誰の目にも明らかな劣等感のサインと言えるでしょう。
 これに対しA君の場合は、一見劣等感をもっているようには見られない。ハキハキした物言いやニコニコした態度は劣等感と無縁なように見える。しかし、彼の異常なまでにケロリとした感服は、臨床家の目には、かなり根強い防衛と受取られます。長い間、貼り続けられて来た「悪い子」のレッテルに対して、そうする以外に対抗の方法がなかったのでしょう。勿論乱暴や非行も、同様に自我の防衛機能、劣等感の補償と考えられます。
 このように劣等感をもつ子どもには、それをそのまま表面に出して消極的な態度をとっている場合と、反対に補償作用として積極的、攻撃的行動をとる場合とがあります。後者にはA君のようなケースの他にも、いじめっ子やガキ大将となるもの、他人の批判ばかりする子、おどけて人の目をひく子ども、虚栄的なウソをつく子どもなどがあります。
 また、子どもの劣等感について大切なことは、殆んどの場合、子ども自身の意識というものは直 接にはとらえられないことです。云いかえると、子どもはたいていの場合、自分の劣等感を意識していません。このような深刻なケースになればなる程そうであり、また云うまでもなく年齢が低ければ低いほど、劣等感の意識はない事が多い。子どもは自分の感情を意識する以前に行動に表わしてしまうからです。各種の劣等感検査なるものを見ても、少数の例外を除いて適用範囲が小学校五年生ぐらいからとなっているのもこのためです。成人や青年の劣等感とはこの点で区別しなければなりません。

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