劣等感と自我

 アドラーが後年「劣等感は誰にでもある」と主張した時、彼がその根拠としたのは、人間の赤ん坊の無力さ、子どもの大人に対する弱さでした。この説を批判する人びとは、子どもが大人を競争の対象とみるのは特殊な場合に過ぎず、通常は庇護してくれる存在と見ているから劣等性を意欲する筈はないと云う。それはともかく、人間の赤ん坊の無力さという事実はその後も多くの人がこれを取り上げています。例えば、アドラーのしばらく後にフロイトを離れたホーナイは、基本的不安という概念をつくり出し、現代人は皆多かれ少かれ神経症的である、と云ましたが、その基本的不安の原因として、赤ん坊の無力さという事実、および彼を庇護する親に対する依存と敵意の葛藤をあげています。
 人間は生まれながらにして、不安感、劣等感を抱くべく運命づけられた存在ということになります。彼女はまた現代文化の影響をも強調し、個の独立、社会的成功を奨励する競争社会ゆえ、現代文化は人びとを不安と駆り立てると述べています。

スポンサーリンク

 次に自我心理学の中心とも云うべきエリクソンの立場をみてみましょう。彼が健康な人格の発達のため、人生における八つの課題を設定したことは有名ですが、その最初の段階としてあげられたのが、「基本的信頼」ということです。彼によると、赤ん坊がこの世に生まれて最初の一年間に獲得しなければならないのは、「この世と自分に対する信頼である」という。これは充分な世話を受けて飢えや寒さから守られ、暖かい愛情を受けて満足している赤ん坊の姿です。よく世話されて、よく飲み、よく眠り、よく笑う赤ん坊は基本的信頼をたっぷりもっています。つまり「この世はよい所だ。自分は皆から大切にされる価値ある存在だ」という感情です。これに反して充分な世話を受けなかったり、病気その他の理由で不快から逃れられなかった赤ん坊は、常に不充足、不全感を体験しています。このような状態を彼は「基本的不信」と呼びました。「自分にはいつも何か足りない点がある。自分は人びとに構ってもらう価値もない存在である。この世は不快なところである。他人は信頼できない」という感情です。これは無論、まだ他人との比較など知らない時代のことで、劣等感とは異なりますが、成長の後いつまでも尾をひいて、後の劣等感の原因となったり、劣等感に伴って再び現われたりします。
 次の時代、即ち幼児期の前半をエリクソンは自律の時代と呼びました。二本の足で立ち、自分で活動できるようになった子どもが、同時に「しつけ」の圧力にさらされるこの時代は、親からの独立、したいことをする、と、衝動の統制、してはいけないことをしない、という相反するものを同時に学ばねばならない困難な時期です。これに失敗した子どもは恥、見られてはまずいという感情、排泄の失敗をみつけられた子どもの姿に端的に示される、にさらされる。こんな時たいていの子どもは強情さという形で反抗を示します。
 人が皆自分を見る、恥かしくて人前に出られないという感情は、多くの人が劣等感とともに体験しますが、この時期に受けた心の様子やしつけの方法が関連している場合があります。忍耐強く、罰や恥の感情を与えずにしつけを完了させた母親は、このような場を子どもに負わせることはないでしょう。
 次に幼児期の後半(四〜六識)の課題をエリクソンは積極性イ二シアティヴと呼びました。これの失敗から生まれる感情は罪悪感です。この同じ時期をフロイトはエディプスコンプレックスの時期としたことはよく知られています。同時にまた、そのコンプレックスの克服と同時に父親との同一視が行なわれ、超自我(良心)の形成が行なわれる。これは人格形成に絶対必要な道ではありますが、一歩まちがうと厳しすぎる超自我は罪悪感を生み、子ども自身のあらゆる行動を批難し、抑制します。ボクは悪い子どもだ、自分で自分にこんなレごアルを貼りつけた子どもは、神経症的な症状を発展させます。また別な例であるが、妹が生れた事に嫉妬し、赤ん訪をいじめたため、ひどく叱られた。ある子どもは、ものを食べなくなってしまいました。彼の良心は彼に「生きるに価しない」という厳しい宣告を下したとしか思えません。罪悪感からますます悪い事をし、罰を受けて安心する子どももいます。非行が罰への願望から起ることはヒーリーも指摘していますが、問題児でなくとも、四、五歳の子どもはよく、気嫌が悪くなって自己を統制できなくなると、母親の怒りを挑発するかのように次々とイタズラをし、罰を受けて泣いてやっとおさまる、という現象を示します。良心の極めて幼い芽生えのようです。
 罪悪感はまた、神経症の源としてフロイト以来大きくとりあげられて来ていますが、劣等感の中にも、道徳的劣等性に悩む人は大勢いる。殊に思春期に、性的な抑制に関して悩み、劣等感をもつ者が多い。フロイト流に解釈すると、それはエディプス期(五、六識)に性的な関心の芽生えや真性の親に対する愛情を罰されたためということになるでしょう。
 次の学全期の課題をエリクソンは生産性(ものを作ること、モのための知識や技術を学ぶこと)に置き、それの失敗が劣等感であるとしました。
 たしかにこの時期以前の子どもは同年の子どもの集団に入れられる事が少なく、例え入れられても自他の能力を見分けたり比較したりする力もないので、劣等感をもつには至りません。幼稚園や保育園の年長児ならばある程度そのような経験もありますが、まだ、競争意識が未発達な段階ゆえ、真の劣等感は生まれません。小学校二、三年以上になると子どもの自我も発達し真の意味での劣等感が生まれて来ます。知的に低い子どもはこの時期の犠牲者です。勉強に全くついて行けずそのために仲間から外されたものは、どうしても劣等感をもつことになります。

子供は親はどう見ているか/ 親子間の葛藤と断絶/ 子供の集団生活への参加/ 子供の社会的行動の発達/ 子供集団とリーダーシップ/ 子供の遊び/ 子供の道徳的行動/ 子供のうそ/ 嘘との出合い/ 子供の表情/ 赤ちゃんのほほえみ/ ほほえみと人間関係/ 劣等感のあらわれ方/ 劣等感はどうしておこるか/ 劣等感と自我/ 劣等感の克服/ 何が子供の心を規定するか/

       copyrght(c).子育てと育児.all rights reserved

スポンサーリンク