先生を嫌う子供

子供にとって、担任の先生が嫌いだということは、たいへん不幸なことです。ときには、そのことで子供は学習意欲を失ったり、学校へ通うことを忌避したりすることもあります。中学や高校の生徒の場合は、その嫌いな先生の担当している教科も嫌いになってしまうこともあります。
子供が先生を嫌いになる理由を少し考えてみましょう。
子供に学校とか先生に対して漠然とした不安ないしは恐怖感がある場合。例えば、小学校に入学する前に、親が、子供が粗相をしたりあるいは悪事を働いたときなど、そんなことをする子は、学校の先生にいいつけますよとか、先生に叱ってもらいますよ」とたえず、威していると、子供は学校とか先生とは恐ろしいものだという先入観をもってしまうことになります。
先生が子供の性質にあわない叱り方をしてしまった場合。例えば、内気で神経質な子供は先生から、ほんの少しでも注意されたり、叱られたりすると、そのことを気に病んで、意欲を失い、先生を嫌ってしまうことがあります。
先生が子供のもっとも弱い点、顔がみにくい とか、背が低いといった身体面のことや、泣き虫だとか、いくじがないといった自尊心や伴面上の問題を大勢の前で非難した場合。だれでも、自分の顔のことや能力のことや、あるいは性格のことを非難されるのは、快くないものです。特に尊敬している先生から、そのような非難を受けると、ひどい屈辱感をもってしまうことが多い。
親が先生を嫌っている場合。子供の前で親が先生の悪口をいったり軽蔑した場合、子供は親の味方になってしまうことがあります。例えば、母親が先生を非難しているのを耳にした子供が、それ以来、先生の指導に不信感を抱いてしまったという話もあります。
このほか先生が不公平な態度をとったり、指導に熱意がなく、適当にゴマ化したり、あるいは陰日向があったりすると、子供の心は先生から離れていってしまうことになります。

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このようにいろいろの理由が考えられますが、もっとも大切なことは、先生と子供との間に心のつながりがあるかどうかということです。たとえ先生に叱られたときには体罰を受けても、自分は先生に信頼され、受けいれられているという気持をもっていれば、叱責や体罰はむしろ、その心のつながりを深めることに役立つこともあります。しかし、現実には、先生と子どもの関係はすれ違いの連続であることが多いようです。子供が先生にしてもらいたいことや教えてもらいたいことと、先生が子供に要求していることは、くい違っていること、例えば、子供は先生に一緒に遊んでほしいとか、考える余裕を与えてほしいと思っても、先生のほうは忙しくて遊ぶひまがなかったり、知識のつめ込みに専念したりしている場合が多い。
こうなると、子供が先生を嫌うという背後には現代の教育そのものの歪みがあるということになります。知識の注入とか学習の能率のみに目を奪われ、子供との間に人間的共感を作り出すことを忘れた先生は、たとえ子供を上級学校にすすめることには成功しても、子供から慕われ尊敬されることはありません。
それでは人間的共感とは何か。それは対者(生徒)と相向かううちに、我(教師)自らの心が育ち、対者の心が癒されるという関係を意味している。ユダヤ人の哲学者ブーバーはこれを「我と汝の出合い」と表現している。「我と汝」の我は打算や功利や功名を超越し、その全存在をこめて相向かう関係において成立するし、また、その全存在をこめて相向かうということは「我と汝」のかかわりが深い慈悲の心によってあらわれていることを意味しています。
生徒が教師を嫌う理由をみてゆくと、教師が生徒を一方的に評価し、調査し、ときには自分の都合で解釈しているということがよくあります。このような相手(生徒)を評価し、調査し、解釈する関係はかかわりではなく、行き次いで、この関係には心のつながり、つまり人間的共感はない。もっとも、この人間的共感は教 師の日々の人生修行を通しての自己実現の過程で生ずるもので、つけ焼刃では達成されないものでもあります。

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