思春期の告白性と閉鎖性

人の生涯で自分自身を理解してほしいと思う気持がもっとも強いのは青年期です。青年は自分を理解してくれる友人や先輩、ときには先生を求めて、その心の扉を叩きつづけます。ところが、これほど理解してくれる人を求めながら、青年の心はこちらから近付いていくと堅くその扉を閉ざしてしまうことがあります。人なつこいようでいて人見知りをする感じです。
ある青年は、中学校の頃の担任の先生を非常に尊敬し慕っていました。相談ごとや心配なことがあると、その先生の自宅を訪ね、心のすべてを打ち明けていました。先生もまた自分の子供のように可愛いがり、人生についていろいろと話したり、ときには叱っていました。父親には反抗的であったその青年も、その先生のいうことだけは素直に聞いていました。ある夜、交通事故でその先生が亡くなりました。青年は嘆き悲しんで気の毒なくらい落ち込みました。しかし、事故の日から四、五日過ぎると、青年の心の中に自分でも予期しなかったような変化が生じてきました。先生の死を悲しむ心とは別に、先生の存在がなくなったことによってほっとしている自分自身に気がついたのです。
全面的に理解されるということは、一面において、その人にすべて把握され、すべて支配されているということを意味しています。青年はその先生に自分の心の様々な出来事を告白し、理解されたいと望んでいました。しかし、それとともに、心のどこかでは自分のすべてを知っている人がいるということにひそかに反発も感じていたのです。一般に、青年は自分のなかにある弱いもの、醜いものを隠蔽しようとします。理解してほしいという気持と、全面的に理解されるのはいやだという気持が心の中で対立しているのです。

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青年の行動半径は年とともに拡大し、心身の諸能力も、成人と同じか、それ以上の水準にまで発達します。青年は次第に家庭からの保護を必要としなくなり、家庭にいる時間そのものも少なくなります。親の関知しない生活領域がだんだんと増えてくるのです。
青年が親から精神的にも独立していく過程を、乳児期の生理的な離乳と対応させて、心理的な離乳と呼ぶ学者がいます。親から独立して、自分自身で考え判断しようとするようになるのである。しかし、こうした過程はつねに順調に行なわれるとは限りません。子供をいつまでも自分の保護の下に置いておきたいという親の一般的な態度に加えて、現代社会の組織は容易に青年の独立した生活を可能にしません。
青年の清潔で理想主義的な人生態度や、一つの問題を単純に一つの観点だけから考えてしまうような傾向は、親の妥協的で現実に即した生活態度としばしば矛盾し、摩擦を生じやすくしています。そのため青年は、大人、特に親に対して批判的になりやすく、友人には何でもよく話すのに親には沈黙して語ろうとせず、親に寂しい思いをさせたりします。この時期を第二反抗期という。親に対して、考え方が古いとか、若いものの気持を少しも理解してくれないなど苦情をいうことが多くなる時期です。
このように不従順、反抗的な振舞いが多くみられるが、他方また青年は社会的経験に乏しく、独立して行動するだけの自信がなく、自分だけには頼れない不安を感じており、そのためになお親に依存しなければならないことを無意識のうちに感じています。権威あるものに反抗して独立したいという気持と、それにどことなく不安を感じて依存していたいという気持の対立が青年の中にあるのです。
児童期に比較的安定していた情緒は、青年期に入るとはげしく動揺するようになります。不安も悩みもなく毎日を平穏に過ごしている青年があれば、それはすでに青年には値しないといっても過言ではありません。不安、懐疑、あせり、自己嫌悪などを休験し、それを自ら解決しようと努力することによって青年は成長していきます。
このような情緒の変化は、それをひき起こした刺激とつり合っていないことがあります。例えば、箸が転がったというだけの刺激に対して笑い転げるという強い反応があらわれるのは青年期だけの現象です。教師が軽く叱っただけなのに感受性の鋭い青年は深い絶望感をもつことがあります。
特定の芸術、スポーツ、趣味などに対する打ちこみ方、ひとりの上司や先輩に対する尊敬や傾倒は、青年の強い情緒や鋭い感受性を除外しては考えられないのです。
恐れ、怒り、はじらい、妬みというような情緒にも青年の特徴は反映しています。例えば、子供が恐れをもつ対象は雷とかイヌのような具体的な事物であることが多いが、青年期には人間関係に関して恐れをもつことがふえてきます。自分だけが友達から仲間はずれにされるのではないかというような恐れです。怒りも、不公平に扱われる、侮蔑される、というような自我が傷つけられたときに生することが多くなります。
自分の弱点や非力なことを他人に知られたとか見られたと思ったときに生ずる困惑の情緒が、羞恥心です。青年期では望みが高く、その反面、自己省察が鋭いので、現実に人にみられなくてもそのような場面を想像しただけで恥ずかしいという感じをもつ。性についての羞恥心がもっとも鋭敏なのは、いうまでもなく青年期です。
自我意識が強く他人との比較に敏感な青年期には、嫉妬心もよくあらわれます。実際に嫉妬が生ずるのは愛情をめぐっての場合が多く、他人に社会的地位を奪われたと感じたときにも生じます。嫉妬深い青年には、他人に較べていつも自分が優れていたい、そしてそのことをみんなに認めてもらいたいという気持が強い。自分と他人との差が気になって他人との比較の上で自分を評価しがちな青年期には、劣等感も発生しやすい。
このように情緒が多彩になり、その情緒にもとづいた行動がいろいろと形をかえて現われてくるのが青年期です。しかし、怒り、怖れ、嫉妬などはそれをなまのままで表出することはあまり好ましいこととは考えられていません。そのため、それを抑制して表面に表さないように努めようとします。しかし、抑制してもそのような情緒をひき起こした事態は少しも改められないので、このようなときの青年の気分は重く暗いものとなります。むっつりと黙った態度、いらいらとした不機嫌さ、無愛想などは、このようなときの不快感の表れと考えてよいのです。
よく青年期は、子供からおとなへの過渡期であるといわれます。過渡期という言葉がここで用いられるのは、子供と大人との間には質的な差があり、青年が自分自身で解決しなければならない問題をもっていることを意味しています。事実、自分の将来の問題、社会一般の問題、職業決定の問題、配偶者選択の問題、思想上の問題など、考えさせられ対決を迫られる問題が青年には多いのです。これらの問題を真剣に考えることによって青年は成長していくのですが、なかにはこれらの問題の重圧に耐えかねて神経症のような状態になることもあります。それだけに、青年の問題の解決を援助し追切な助言を与えることの必要性があるわけです。
青年の死因の中では自殺が高い率を占めていますが、この中には適切な相談相手となる人がいたら未然に防止できたであろうと考えられるケースも少なくありません。
青年はまた、自分自身への関心から出発して、宗教とか道徳、社会や文化の問題にも広い関心をもつようになります。知的機能の高度の発達によって得た批判的態度と強い価値意識、それに旺盛な生命力をもって、青年は理想的な社会の実現を追求し、これが活発な政治活動となってあらわれることもあります。
青年期を通して家庭環境からの影響も少なくありませんが、親しい友人との出会いや特定の教師や先輩から受ける感化、あるいは学校やクラブの気風、さらに読書によって接した人物や芸術作品に接した感銘などが青年に大きな影響をおよぼすことがあります。

思春期の心理的特徴/ 思春期の告白性と閉鎖性/ 思春期の微妙な人間関係/ 身長の問題/ 痩せている/ 肥満/ 食事の問題/ 睡眠の問題/ 考え方ややることがいつまでも子供っぽい/ 落ちつきがない・内向的傾向/ 劣等感と優越感/ 虚無的と無感動/ 神経質/ 嫉妬深い/ 男の子らしさ女の子らしさ/ 短気で乱暴/ わがまま/ 協調性/ 情緒不安定/ 学校の様子を話さない/ 反抗期/ 弟妹との不仲/ 家庭での孤立/ 個室の要求/ 下宿をしたがる/ 親を馬鹿にする/ 祖父母との関係/ 友達ができない/ 先生ぎらい/ クラブ活動/ 教室での孤立/ 学校ぎらい/ 進路指導/ 勉強の成果が上がらない/ 成績が下がる/ 塾・家庭教師/ 進学拒否/ 志望校の受験に失敗した/ 浪人生活/ 登校拒否/

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