英才教育とは

知能の高い子供と創造的な子供とは、必ずしも同じではありません。むろん、この二つを同時にかね備えているのがいちばん望ましいといわれるかもしれませんが、そう都合よくいくとはかぎらないのです。ワルラックとコーガンらの結果では、たしかに、知能も創造性もともに高いという一群の子供たちがいることになりました。しかも、彼らは、安定した成熟度の高性格の持主でもありました。これは、いかにも教育ママを喜ばせそうな結論です。そうなるとすぐに、知能も創造性もともに高める教育とはどんなものか、こう質問されそうです。しかし、この種のせっかちな要求は好ましくありません。人間は、粘土細工ではないのです。右から左へ、そんなに自由に変えられるはずはないのです。また、心理学とは、その種の万能の技術を与えてくれるものでもありません。これは、はっきりと断言しておかねばならないことです。新聞や雑誌の類には、ときどきいかにももっともらしい天才教育の話がのせられていますが、そのほとんどはまやかしと断定してさしつかえないでしょう。
それから、最近、一部では、特に頭の良い子供だけを集めて行なう英才教育が流行しているようです。その結果、IQが驚異的に上昇し、天才級に達したなどと騒がれています。これらのなかには、よく考えられた綿密なプログラムにしたがって教育が行なわれ、たしかに英才教育の名にふさわしい成果をあげている例もあります。
しかし、その大部分はあまり信用のかけないものに終わっているようです。ふつうの子供でも、知能テストの教育に専心すれば、IQを二〇や三〇くらい上昇させられるものです。IQが特に高い子供では、上昇の幅が高いのはあたりまえの話であり、別に、子供たちが天才児に変わったわけでもないでしょう。ひたすら子供の素質によりかかり、格別の教授、学習上の努力には無関心といったみかけだけの英才教育にはどうも賛成できません。
真の英才教育とは、どんな子供にでも平等に正しく能力を高められるものでなければなりません。特に選ばれた子供にだけで通用するような英才教育は、一般的、普遍的な教授原則に基づくもので ないことは明らかです。これでは、英才教育というよりは、隔離教育になってしまうでしょう。そこで、他方ではセンチメンタルな悪平等主義が叫ばれることになります。
悪平等が望ましいことがどうかは別問題としても、実際にすべての子供の能力を一線にそろえられるとは思えません。平等々々だけでは、一種のセンチメンタリズムに終わってしまいます。大事なのは、すべての子供のもつ独自な個性的能力を最大限に開花させるという目標につきるでしょう。
この見地からは、現在日本で行なわれている多くの就学前教育の試みが、中産階級上図の限られた子供だけを対象としているのは問題です。もっと恵まれない放置されている子供たちにも、多くの実践の試みが拡張されていかねばならないでしょう。

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IQの高さと創造性とが必ずしも一致しないことは、いままでにのべたターマンの研究にも示されています。彼の追跡したカリフォルニアの天才児たちは、高い社会的成功を収めたのですが、予期に反して、このなかから真の創造的業績をあげた人物は一人もでていません。IQ一四〇以上は、天才の十分条件ではありませんでした。何かが他に要求されそうなのです。
しかも、やっかいなことに、現実の創造的業績をあげた人々、真の天才たちのプロフィールを調べてみると、それはどうもワルラックとコーガンのいうイメージとぴったり重なってはきません。ワルラックとコーガンのいう知能も創造性も高い子供は、いってみれば、何から何までよくできた模範生というところですが、いわゆる天才には、そんな面影はないのです。
エジソンは、子どもの頃、薄ぼんやりにみえたそうです。相対性原理のアインシュタインは、学生時代ちっとも出来の良い方ではありませんでした。のみならず、彼は一風変わった人物で、仕事に熱中しているときには家族のことなど一向に気にもならないのだそうです。身のまわりを通りすぎる妻や子の姿は、一種の影絵のようにしかみえないと、自伝に書いていたように記憶しています。フランスの天才的数学者ポアンカレも、大学の入学試験には落第しました。こう並べてくると、教育ママは尻ごみし始めるにちがいありません。
もっとセンセーショナルなデータもあります。天才と狂気とは紙一重というのは、有名なロンブローゾの説ですが、実際にも、たしかにこのような結びつきは強いのです。
ドイツのラングアイヒバウムという精神医学者の調べたところでは、古来からの三〜四〇〇人の天才のなかには、生涯に一度は精神病的な状態を現わした人が一二〜一三%にも達するそうです。これは、平均人口中の〇・五%という比率にくらべると異常に高いといえるでしょう。
ところが、さらに特に有名な人物だけ七八人を選びだしてみると、この比率はもっと高まっていきます。一度は精神病的状態を示したものが三七%以上、きわめて精神病質的なものが八三%以上、軽度の精神病質的なものも一〇%以上、健康と認められる人はわずか六・五%にすぎません。さらに、最高級の天才三五人を選ぶなら、精神病的なものが四〇%、精神病質的なものが九〇%以上に上ります。こんなところから、天才のもつ創造性の秘密を彼の病跡の探究によってみいだそうとするパソグラフィという学問分野すら生まれているほどです。
もっとも、こういったからといっても、天才には必ず狂気を伴うと主張するわけではありません。むしろ、正反対です。狂気が必ず天才を産むとはいえない以上、天才もまた狂気に還元することはでかないはずだからです。その結びつぎのあり方は、ずっと複雑でしょう。おそらく、ある種の創造性とは、狂気という高い代償を支払うことによってやっとかちとられたものとしかいえません。
ただし、ここで注意したいのは、天才と狂気の関係ではなくて、現実の天才像なのでした。それは、ワルラックとコーガンの画く明るいイメージには似ていません。むしろ、彼らのいう知能は低く創造性は高いグループのいらいらした不安定な姿を思い起こさせます。創造性に関する実証的研究は結構なのですが、それは、テストという限られた手段によって、しかも、まだ現実化されていない創造性の萌芽を扱うものにすぎないことを、忘れてはいけないでしょう。
創造性の根源を求めるためには、もう少し別の領域をも探ってみなければなりません。つまり、現実の創造的生産である発明、発見などの過程を調べることが必要とされます。

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