幼稚園教育の伝統的理念

様々な新しい幼児教育論が流行していますが、これらは多く、幼児教育の主流である幼稚園教育界とは縁もゆかりもない人びとによって唱えられています。正統派を自認する幼稚園教育界の人びとは、むしろかたくなとみえるほど伝統的な行き方を守って、新しい潮流には背を向けているようです。
その伝統とは一言でいって、情操教育というスローガンにまとめることができるでしょう。例えば、昭和四三年の文部省編「幼稚園教育指導書」一般編には、幼稚園教育における指導の基本方針として、第一に、「幼児の心身の調和的な発達を図り、健全な心身の基礎を善うようにすることがあげられ、第二に、「基本的生活習慣と正しい社会的態度を育成し、豊かな情操を養い、道徳性の芽ばえを培うようにすること」がつづいています。以下、「自然および社会の事象について興味や関心をもたせ、思考力の芽ばえをつちかうこと」、「人の話を問く正しい態度を養うとともに、人に分かる言葉を使おうとする意欲を育て、言葉の正しい使い方を身につけるようにすること」等々の様々な目標が続くのですが、ここで、第一の目的は、いわば当りまえきわまることをいっているだけですから、実質的には、情操教育、道徳教育、基本的生活習慣の確立、社会性の育成などが、幼稚園教育の最大の目的とされていることは明らかです。この考え方は、日本の幼児教育界には、実に根深く浸透しています。

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幼椎園教育指導書には、思考力の芽ばえを養うとか、言葉の正しい使い方を身につけるとかの事項が指摘されてはいます。しかし、言葉といっても、それは言語一般を指すのではなく、話言葉の範囲に限られていることがみてとられます。また、自然や社会の事象には、興味をもたせることが主目標であり、思考力の「芽ばえ」を養うというのはどうもつけたりのような感じです。ここに現われたかぎりでも、現行の幼稚園教育要領は、情操教育の重視とともに知的教育の軽視を含んでいること、がうかがわれます。
それに、文部省の考えがどう変れろうと、日本の幼稚園教育のもつ長い伝統と体質を忘れるわけにはいきません。大多数の幼稚園にみられる、数や文字をタブー視する考え方、知的教育へのアレルギー症状は、決して一朝一タにできあがったものではないのです。むろん、その背景には、幼稚園発足以来の歴史的事情や多年にわたる文部省の指導方針があり、さらに、幼稚園教員の養成のあり方という問題も無視はできません。いずれにしろ、こうした技きがたい体質と、情操教育という口あたりのよいスローガンとは、ぴったり適合するので、広く深く受けいれられているのでしょう。
ここで、一つ指摘しておきたいのは、肝心の情操そのものについて誰もはっきりした定見をもたず、そこに至る道筋も示されないままに、合言葉だけがこんなにも声高く唱えられているという不思議な事実です。絵画、造形、文学教育の初歩が情操教育だというのなら、それも結構ですが、しかし、はっきりそう言明する人は誰もいません。それらは、情操を育てる手段だというのです。ある人はまた、自然の教育というのは、自然とのふれあいを通じて、活き活きした情操を養うことだといいます。これでは、何をやっても情操教育になってしまうではありませんか。自然の教育というときの自然には、当然、自然科学というときの厳しいイメージも含まれているはずなのですが、こんな反省をしようとする人もめったにありません。結局、幼稚園での自然とは、伝統的な花鳥風月だけを意味しているのです。情操教育とは、ただの合い言葉だといわれてもしかたがないではありません。
情操教育の中身は、どうも具体性を欠いています。何をしたら情操を育てることになるのかさっぱりわからず悩んでしまうという先生たちの訴えを聞くこともあります。意欲的な先生ほど、失望を感じ懐疑的になる、こ牡が実状だとしたら、日本の幼児教育を考えるうえでまさに一つの重大問題です。

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