内発的成長

ホスピタリズムや家庭における母親不在の例は、母子関係や家庭環境などが長期間にわたっていかに子供の発達に影響するかを教えてくれます。しかし、ジェンセンのような強固な素質論者は、この種の資料だけでは必ずしも納得しません。つまり、「環境条件が子供の発達を阻害することだけを明らかにしている。ある限度以下の劣悪な環境条件は、たしかに、子供の知的発達を妨げる。しかし、逆に、貧富な環境条件を与えたところで素質以上に発達を促進できるとは自分は考えない。もっと積極的な証拠をがしてくれなければ困る」。このようにいうことでしょう。
この種の議論は、くり返しのべたように、素質とか環境とかいう言葉の用法を明確にしないと、はっきり結着はつきません。ジェンセン流の見解の誤りは、一つは、素質という概念をきわめて強固な不変な独立した実体とするところに根ざしています。けれども、これについては具体的な実例について、証拠をあげていくことにしましょう。

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第一の例を、仮にM君と呼んでおきましょう。この子どもの幼児期以来の成長の過程です。M君は、長男として恵まれた環境のもとに両親からかわいがられ、何不自由なく育ちました。お母さんは、この子に音楽を身につけさせたいと望み、幼稚園の頃からオルガンの練習をし、ついで小学校に入ってからは、わざわざ先生にきてもらって週一回ずつピアノのレッスンをさせました。
これほど親が一生懸命であったからには、さぞ、この音楽教育は成功したと思われるでしょうが、結果は逆でした。
むろん、M君もピアノを弾く技術は巧くなりました。しかし、肝心の古典音楽への興味は、まるで育だたかったのです。母のいいつけですから、先生がきたときには、一応ピアノの練習はやっています。しかしM君は、つれづれ、ピアノは大嫌いでこんなものは世の中からなくなってしまったほうがいいと公言しています。そうして、時には、気がつかなかったふりをして巧妙にレッスンをさぼるのです。とうとう上級生になって勉強が忙しくなったのを機として、ピアノは中止ということになってしまいました。
ここから、親がどんなに夢中になり、またどんなに条件を整えてやっても、それだけでは必ずしも意図した結果は得られないことがわかります。では、ほんとうに伸びていくための条件とはどこにあるのでしょうか。
M君のお父さんは、カーマニアです。ずいぶん早く、M君の生まれる前から車を運転し、車が好きでした。M君が生まれると、赤ちゃんのうちからいっしょにドライブに連れていき、ヨチヨチ歩きをするようになると、毎日曜日に愛車の手入れをするとき、いつもそばで遊ばせておきました。
そのうち、二歳くらいになると、いつのまにかM君もびっくりするほどよく車の名前を覚えるようになったのです。街で通る車をみて車種を言い当て、それこそおとな顔負けの博識ぶりを示すのに、驚嘆させられたものです。
次の段階になると、M君のトイカー集めがはじまりました。きっと、見ているだけでは満足できなくなったのでしょう。例の本物そっくりの精巧なおもちゃの車を集めはじめたわけです。これは、棚いっぱいになるくらいまでつづきました。
幼稚園に入って二年目くらいから、M君は自動車のプラモデルに興味をもち、今度は、その組立てに熱中しはじめました。これも、何十台かは作ったようでした。
そのうち、M君の興味は、自動車のプラモデルだけではなく、プラモデルー般の組立てにまで拡大しました。幼稚園の終り頃には、大人でもうんざりするような複雑なプラモデルが作れるようになりました。
小学校に入る頃、M君の興味はさらに広がり、プラモデルだけではなく、何でも機械類を分解したり組み立てたりすることに熱中するようになりました。ときには、目覚し時計を分解して組み立て直すことができないなどの失敗もありましたが、ときには、鍵のなくなった錠前を分解して戸を開けてくれるなどありかたい技能ぶりもみせるようになったのです。
M君が小学校上級生になった頃は、あれほど盛んだったプラモデル作りや機械の組立てへの興味は、表面的には、それほど目立だなくなりました。また、将来名になるつもりか聞いてみても、本人には、まだはっきりした自覚はないようです。
しかし、M君は、学科では、理科や社会がお得意です。格別習っているわけではないのに、クラスで一、二を争うような成績をとります。いいつけられなくても、これらの学科は好きで、よく勉強します。
機械類への興味と理科や社会への興味とが、どういうふうにつながっているかは、よくわかりませんが、おそらく、様々な仕組み、システム、構造などを理解しようという興味が、これらの教科の特質と合致するところがあったのでしょう。
もし、こんな具合にして、M君が将来も同じ方向に伸びつづけるとしたら、あるいは一人の優秀なエンジュアがいつか誕生するかもしれません。
この例の興味深い点は、親が意図して育てようとした音楽への関心はついに根づかなかったのに対 して、まったく偶然のところから思いがけない別の興味が発達し、それは自発的なものとして自然に拡大していったことです。むろん、これは一般原則ではありません。その背後には、いろいろな原因や理由が考えられます。
まず第一に、この家庭ではクラッシック音楽がふつうの環境条件としていつも与えられていだわけではないということです。両親は、音楽が嫌いではありませんでしたが、父親の興味は、むしろ、カメラや自動車に向けられていたのです。母親は、音楽への趣味が好ましいと考えていたことは確かですが、しかし、自身が演奏や鑑賞にそれほど熱意をもっていたわけではありません。
第二に、現在の日本では、ピアノは男の趣味として必ずしも適切とはみなされていない点があげられるでしょう。男の子の文化的標準の範囲に入らないものを育てるには、やはり、かなり格別の条件が必要です。母親の熱意だけでは十分でなかったのです。
第三に、一般に、男の子は父親をモデルとすることが多く、女の子は反対に母親の価値を身につけやすいことが指摘されねばなりません。このばあいもその通りでした。

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