自然教育

幼児を、大自然の中で、その大自然を相手に、伸び伸びと遊ばせてやりたいものです。幼児の自然教育などというと、大変に固苦しく、難しいもののように感じられますが、実は、どうすれば幼児が大自然を相手に自由に遊びまわれるようになるか、ということにほかならないのです。
ただし、ここでいう自然とは、単に、森とか林とか、海とか山とか、そんなものだけを指しているのではありません。
たしかに、自然は、よく社会とか人造とかに対比されて考えられます。だから、近頃の大都会には自然がなくなったなどといわれます。しかしそれでは、自然というものをあまりにも狭く考えていることになります。
緑の林も、それが植林されたものだとしたら、自然ではないことになります。青々とし田んぼは、一体どれだけの人間の様々な努力の結果であるかを考えてみてください。田んぼが大都会に変わったとしたら、それは自然が人造に変わったのではなくて、ある人造が他の人造に変わったにすぎないのです。
人造が自然ではないとしたら、どんな金属、どんな薬品、どんな機械も、すべて自然とはいえず、自然科学の対象からはずれてしまうでしょう。
そんなことはありません。ここでは自然を、いわば精神と対比して、事物や事象の物質としての面をすべてふくめて指していると考えてみましょう。
だから、大自然を相手に遊ぶということも、けっして単に、緑の林や白い砂浜でどんぐりやカニとたわむれ遊ぶことではなくて、もっともっと広く考えたいと思います。

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幼児がよくやっている遊びを考えてみましょう。かくれんぼとか鬼ごっことか。このような遊びは、何も知らなくてもできるでしょうか。そんなことはありません。鬼のきめ方や逃げ方やかくれ方を、あるいは捕まったら次の鬼になるということを知っていなければなりません。つまり、その遊びのルールや、そのルールの適用の作戦を知らなければなりません。
水遊びや砂遊びの場合はどうでしょう。この場合には、かくれんぼや鬼ごっこの場合のような、人為的なルールではありませんが、そのかわりに、水とか砂とかの物質が持っているきまりをよく知っているほど、自由に遊ぶことができます。
だから逆にいえば、幼児がなにかで遊んでいるとすれば、その幼児は必ずその遊びを成り立たせているルールを知っているのだ、といえましょう。
こうして、幼児が大自然を相手に伸び伸びと遊べるということは、大自然が持つ様々のきまりを知ることにほかならないことになります。
自然は、きまりを持っています。もちろん、現在の私たちにもまだまだわかっていないきまりはたくさんありますが、とにかく、自然の現象、自然が私たちの働きかけに対して示す応答は、けっしてその時かぎりの気まぐれのものではなくて、こうなればこう、こうすればこう、というように、きまっているはずのものです。
このきまりをうまく見つけ、使いこなしえた者こそ、より楽しく遊べるのです。
そこで、幼児を伸び伸びと遊ばせるためには、自然科学の法則を発見させようと、あまりさもしげに考える必要はないにしても、自然を相手にどう遊ばせたら良いかを工夫しなくてはならないでしょう。
科学に強くなるとか、自然の法則を発見するとかの言葉からは、ともすると、言葉によって事柄の理由を説明できるようになるということを考えるでしょう。そして、幼児に対して、特別の準備もなしに、何故だろうと問いかけたり、逆に幼児の方からどうしてなのと、一見、囚果を訪ねるような発問が出ると喜んだり、ということになりがちです。
これでは、遊びではなくなってしまうでしょう。野球を遊べる人ならば誰でも、その野球のルールを、他の人にもわかるように、言葉で述べられるでしょうか。例えばためしに、ストライクという概念の定義を考えてみてください。たとえそれができなくても、野球を楽しめないことはありません。
このことは、ルールを知らなくても遊べる、ということではなくて、ルールを必ずしも言葉でいえなくても、体では知っている、ということを意味します。幼児における自然科学教育の第一歩は、手足を用いて、対象物を、自分の目的に合致するように変化させられるようにすることだと思います。科学の基礎は技術なのです。まずは幼児に、基本的な法則に発展しうるような技術法則を、からだで身につけさせたいものです。
例えば幼児に磁石を与えて、それと引きあうものをさがせたり集めさせたりしてみましょう。
はじめは、何の見さかいもなく、本でも、紙でも、ガラスでも、何にでも磁石をひっつけてみることでしょう。磁石に、ひっつくものとひっつかないものがあることはすぐわかることでしょう。ひっつかないものには、磁石を力いっぱい押しつけるかもしれません。相手が粘土だったりしたら、押しつけることによって、ついた、ついたという成果を、獲得するかもしれません。
そのうちに、もう本や紙には、磁石をつけてみようとはしなくなることでしょう。漠然としたものではあれ、彼らは、磁石がひっつくのは、金っけのものに限られていることを、言葉ではなしに、自分の経験から、手足で発見したのです。
そうなれば、彼らは、ただやみくもにためすのではなくて、未来への予想をもてるようになっているのです。だから、彼らは磁石をつけてみて、それがひっつくこと を知ったときに、心の中で、やっぱりといっているかもしれないのです。大げさにいえば、磁石と鉄との間の法則を発見し、そのきまりを利用することによって、鉄さがしの作戦が上手にたてられるようになったのです。
ここで大切なことは、作戦の要頂はすべからく単純でなければならない、ということではないでしょうか。
自然科学者と幼児との違いは、用いる法則と作戦が複雑か単純かの違いなのであって、けっして研究と遊び、お勉強とお遊びの違いではありません。
こうするうちに、幼児たちは、思いがけないことに遭遇したりします。もともと磁石につかないはずの水や紙が、磁石についたりします。水平紙の背後に鉄が隠れている場合には、そうなります。幼児が、なぜという疑問を発するのは、こんなときです。このとき、大人がその理由を言葉で教えようとしても困難です。むしろ作戦を一貫して継続させ、そのものを壊させて、鉄がかくれていたことをわからせ、幼児に自分で納得させたらどうでしょうか。幼稚園児が、野に咲く豆科の花が庭園のえんどうの花に似ていることを知って、あれにもお豆がなるのとたずね、ふたたび野原でその仮説を確認したときに大変に喜んだ、という事実があります。このようなケースを、幼児にたくさん経験させたいのです。
言葉ではいえなくても、強く印象に残る事柄は、長く記憶され、後の自然科学教育のなかで学習を強め広げることにもなりましょう。

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