学力テストと教育評価

子供の学力は、教育によって作られます。優れた教育は、高い学力をつくり出し、まずい教育は、低い学力しか作り出しません。
教える側は、いつでも、子供に高い学力をつくり出させようと、教え方をいろいろに工夫するのですが、それだけでは、自分の行なった教育がたしかに優れているかどうかは、はっきりとはわかりません。
そこでどうしても、教えてみた結果、本当に子供たらが高い学力を身につけたかどうかを、テストによって確かめてみなければなりません。
また仮に、不幸にして教え方がまずくて、低い学力しか身につけさせることができない場合にも、どこの教え方がどのようにまずかったのか、今度教えるときにはどのように改善したら良いのか、ということを、やはりテストの結果を通じて知っておかなければなりません。
このように、教えた人が、自分の行なった活動の良し悪しを判断し、次に行なうときのために必要な知識を得ようとすることを、評価といいます。
だからこのことは、ちょうど、医者が患者にいろいろと治療を加えた後に、その治療法の良し悪しを判断し、次に行なう治療に必要な知識をいろいろな検査によって得ようとすることに、なぞらえることができます。
良い治療を目指す医者が、検査による治療法の評価を是非とも必要とするように、よい教育を目指す教師は、テストによる教え方の評価をぜひとも必要とするわけです。

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教育の評価は、一定の教え方の結果として子供が確かに高い学力を身につけたかどうかを測りうるテストを通じて行なわれます。ここでテストとは、いくつかの問題の集りであって、その問題に対して子供がどう答えるかによって、高い学力が身についているかを判定しうるものでなければなりません。
このためには、テストを作り行なう人が、この場合の教育の目標をあらかじめよほどはっきりと定めていなければなりません。「私は、これこれの問題群に正しく答えられるように教えよう」というように、はじめから、後でテストをする場合に用いる問題と、それに対する正しい答とを、はっきりときめておかなければなりません。
人は、テストというと、すぐにペーパーテストだけを考えるかもしれません。そして、単なるペーパーテストだけで、はたしてどれはどのことがわかるのだろう、と疑問を持ったりします。
しかし実はテストは、何もペーパーテストでなければならないことはありません。音楽や体育の実技に関するテストも、やはりテストに変りはありません。
さらに人びとは、教育の目標の中には、その実現の可否がテストでは測れないものがあるのではないか、とも考えます。そしてそのような場合には、テストを、マルバツ式とか選択技法のような、いわゆる客観テストだけで考えているようです。
しかし、テストの形式はなにもこれに限ったわけではありませんし、そのうえ、どんな問いかけに対してどう応答すればよいか、ということとまったく無関係な教育の目標があったとしたら、そのような目標に対しては、私たちは永久に、良い教え方などを考え出すことなどできません。
そこで教育の評価では、教えようとする目標を、どんな問いかけと、それに対するどんな応答の集りとして、具体的に把握したら良いか、ということが大切になります。
教育において評価は不可欠であり、その評価は、様々な形のテストを通して行なわれますが、逆に、テストはすべて教育の評価のためのものである、とはいえません。
例えば人びとは、テストといえば、入学とか就職とか、いわゆる選択のためのテストを、思い浮かべることでしょう。このようなテストは、受験者個人個人に関するなんらかの決定を下すという目的のために行なわれるものであって、必ずしも、教育の目的、方法の改善を目指すものではなく、したがって、教育の評価のためのものとはいえません。
だからまた、たとえ教師が教室で行なったテストであっても、その目的が、単にそれによって子供を勉強させようとしたり、結果を通知表に記入したりすることだけだとしたら、そのテストは、その教師にとっては、教 育評価(自己の教え方の改善)には役立っていないといえます。
最近では、教室では教科書をそのまま教え、他方テストの方は、教えたこととは必ずしも結びつかない市販のワークブックを用いたりすることがよくありますが、このことが教育の評価とは無関係であることは、もはや容易におわかりいただけるでしょう。
今までのテスト観、評価観によれば、テスト成績の良し悪しは、子供の頭の良さしだい、ということになります。
ところが、新しいテスト観、評価観によれば、テスト成績の良し悪しは、教え方しだいということになります。
もちろん実際のテスト成績は、その両方しだいなのですが、もしも頭の良し悪しが生れつきのものであって、教え方しだいで変わるなどということがまったくないとしたら、そんなものをテストで測って、良いとか悪いとかいってみても、その後の教育にとってたいして役に立たないでしょうし、頭の善し悪しは、そのテストに用いられた問題を解くことに関してだけいえることだとしたら、それもまた、子供の頭の良し悪しとして問題にするのではなしに、その時までのその子供の過去の生活環境や、その中でのおそわり方と関連づけて成績を考えてみることの方が、今後のために生産的だといえるでしょう。
この「テスト成績の良し悪しは教え方しだい」という考え方は、単に学カテストの場合だけではなくて、もっと広くほとんどすべてのテストについてあてはまると考えて、さしつかえありません。
たとえば知能テストは、教え方ではなくて、子供の知能の高い低いを測っているのだ、と考えられがちですが、やはりそうではありません。どんな教え方でも良いなどということにまったくありませんが、知能テストの問題も、子供たちは、何も教えられることなしにひとりでに解けるようになるのではなくて、大人がそのことを教えたのだと意識しないような場合も含めて、必ずなんらかの教育的援助によってはじめて解けるようになってくるのです。
何も教えられていない場合には、テストさえ成り立ちません。ことばも習っていない人に、どうやって視カテストを行なったら良いかを、考えてみて下さい、盲人の休カテストを行なったところ、五〇メートルを走ることができませんでした。この盲人は走ることができない、といって良いでしょうか。そんなことはありません。綱を張っておき、一〇メートルごとにさわればわかる印をつけておいて、それにさわりながら走らせれば、立派に走ることができます。つまり、あらかじめそのような走り方を教えてもおかずに、ただテストだけをしようとしても、成り立たないわけです。
一題か二題の足し算が正しく解けたからといって、それだけで全部の足し算が正しく解けるだろうと考える人はいないでしょう。
このように、言葉でいえば一言でいえることでも、そのことを本当にわかっているかどうかを知るうとするためには、どんな場合にも、たくさんのテスト問題を用意しておかなければなりません。
そうなると、用意した問題をすべて問うわけにはいきませんから、その中から、どんな問題は技かさずに問うかを、工夫しなければなりません。このことは、やはり、テストの際に、単にテストだけを考えるのではなくて、教えわからせるべき教材全休を考え、しかもその全体がどんな構造になっているかを考えることと、同じです。テストは教育の一部なのです。

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