学力と知能

例えば、3+4=7という計算を教えられた子どもが、3+4=□という問題にだけではなく、3+□=7または□+4=7という問題にも正しく答えられなければ、3+4=7を理解したとはいえないのです。そればかりではありません。3+4=7を、お金の計算にも本の冊数の計算にも正しく活用できなければ、本当の学力がついたとはいえません。
ふつう、この例のように、学習によって獲得された能力を学力と呼んでいますが、それが本当の学力になっているためには、活用が自由であること、さらには、その獲得した能力で生活を切りひらき、豊かな生活をつくり出していくようにたっていなければならないのです。幼児が得意になってやる数唱も、文字の断片的な模写も、そういう意味では、学力とはいえません。
学力は算数能力や作文能力に限られているわけではありません。芸術作品を鑑賞する力も、スポーツの技能も、問題事態に直面したときに、その事態の性質や構造をすばやく見抜き、適切な手続きを発見し、その事態を解決していく力も、みな学力に関係しています。
そしてこのような学力は、学習者の積極的な構えと、学習すべき内容を理解する能力とが接合して働くことによって、徐々に獲得されていきます。また、教授者の側の条件も学力を規定する大切な条件になっていますし、学習者の生活条件も、間接的に問題になっています。

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学力を規定する条件は複雑ですが、なんといっても最も重要な条件は学習者の知能でしょう。常識的にも、知能の高い子供は学力が高く、知能の低い子供は学力も低いという傾向は、はっきり認められるからです。ビネーがはじめて知能テストを考案したときには、同年齢の学業についていけない知恵おくれの子供を判別するという意図があったといわれていますが、それは、知能と学力との関係が高いことを前提にしていたからだと考えられます。現在でも知能研究者のなかには、知能とは学習する能力つまり学力を獲得する能力であるという定義を出している人さえいるほどです。この場合、知能と学力とは、表現は違っても中味はまったく同じだということになります。
しかし、知能を、問題事態に適応していく働きというふうに、やや広義に解釈しますと、知能と、学習して獲得し、さらに豊かな生活をつくり出していくために活用する基礎学力と考えられる学力とは、共通する部分もありますが、異なる部分も出てきます。実際に学力テストの成績と知能テストの成績をくらべてみますと、両者にズレがみられることも、少なからず発見されます。東京都の小学生について調べた調査では、学力が低いといって問題になった子供のうち、実際に知能も低いのは全体の約六〇%で、残りは知能とは必ずしも関係がみられないことがわかります。また、教科別に学力と知能テストとの関係をみると、教科によって、知能と高い関係のあるものと、その関係の低いものとがあることがわかります。英国の教育学者、ハートが調べた結果では、知的教科(抽象的教科)と知能との関係は高いのですが、芸能的教科との関係は非常に低いことがわかります。
日本でも、この種の研究報告はたくさん発表されていますが、大同小異の結果を出している報告が多いようです。しかし、このような結果には、いくつかの疑問が出されます。例えば、現行の知能テストや学力テストが測定することのできる知能とか学力は、すでに述べたような意昧での知的なはたらきや基礎学力と一〇〇%一致しているものかどうか、仮に一〇〇%一致しているとしても、知能テストや学カテストによって測定された知能や学力は、どのような条件で形成され、どのような条件で発達していくものであるかが明らかにされなければ、ある時点で両者の関係が高いといっても、あまり意味がないのではないか、知能テストも学力テストも、発達の予見性の価値はあまり高くはないのであるから、知能と学力との関係を因果的にとらえることはできないのではないか、などの疑問です。
特に幼児の場合、冒頭に述べたように、数唱とか文字の模写ができる子供が、いかにも学力が高く、しかも知能もすぐれているように錯覚されやすいのですが、それらの能力は学力とはまったく異なるものであり、ましてや、幼児期のそのような能力から発達を予測することは、愚かなことだということになります。
先に、学力とは生活を切りひらき創造していく基礎的な能力である、と述べましたが、そのような能力はどのような指導で育成することができるのでしょうか。それは、子供の頭のなかに既成の知識を注入するという方法とか○か×かの二者択一の単純な思考形式をあてはめていくという方法では育たないことは確かのようです。
しかし、残念ながら今日のテスト教育は、断片的な知識をたくさん知っている子供を育てることはしても、生活を創造していく生きた学力を身につけていく子供を育ててはいないようです。そのうえ悪いことに、大勢の子供に行なう数多くのテストの成績を、能率よく、かつ公平に調べるために、いわゆる○×式のテストを導入することが争いようです。○×式のテストは、あらかじめ正しい答えが用意されているテストであるため、○×以外の第三の解答は、はじめから否定されています。しかし、人の頭脳とは、あらかじめ解決のしかたがわかないような問題事態において、疑問を投げかけつつ出口を探し求める力を発揮するところに、最大の特徴があるのですから、○か×かの二者択一の単純な思考形式に慣れてしまうと、この頭脳の特徴は、無残にも唐殺されてしまうことになります。たしかに、数学や物理や化学の公式や定理には、○×があてはめられるものも多いかもしれませんが、学問の世界は日進月歩であり、いま絶対真理とされる公式や定理にも、いつ大きな欠陥が指摘されるかもしれません。非ユークリッド幾何学や、アインシュタインの相対性原理は、まさしく、それ以前の定理への疑問から生まれたものでした。ある詩を読ませて、その詩からどんな気分が得られるかを、あらかじめ用意した設問から選択させたり、人間の生き方として正しいのは次のどれか、などと問うことは、じつに愚かしいことです。
過度のテスト教育から、子供たちは、暗記しなければならない知識の量に押し潰され、覚えることを負担に感じ、知的発見や学ぶことの喜びも、すぐれた芸術品に対して感ずる鋭い感受性も、人生の夢も、失いつつあるようです。また、一点を争うテスト競争にまきこまれた子供たちは、お互いを敵視し、人間的な愛と共感を育てることを忘れ、忍術のような勉強にうき身をやつしているだけです。

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