教育課程

教育課程という言葉は、カリキュラムの訳語であって、それはもともとラテン語の競馬場のレースコースを意味していましたが、その後、教育上において適用され、学習の筋道の意にとられるようになりました。
教育課程とは、広義には一般に教育目的を達成するために必要な教育内容を選択し、配列し、組織した全体計画です。そのとき教育の目的や方法の原理の相違によって教育内容の選択、配列、組織の基準や原理が異なってくることになるので編成された教育課程は決して一様ではなく、多様な類型が生じてきます。
しかし教育課程が、どのような類型をとるにせよ、被教育者(子ども、青年、成人)の成長、発達をもたらすための教育活動を計画化したもの(教育計画)であるかぎり、教育課程は教育のあり方を具体的に決定する一要素として非常に重要であることには間違いありません。なお狭義の教育課程は学校における各教科活動と教科外活動の組織と教育内容の編成を指します。

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教育勅語体制否定の上にたってすすめられることになった戦後日本の教育改革の動きは当然ながら教育課程法制にも影響を与えています。つまり戦後日本の教育課程の改革は戦前における軍国主義的超国家主義的な教育内容の否定からはじまったのです。そして戦後教育課程法制の具体的な出発点となったのは、学校教育法でした。
それによると、小学校、中学校、高等学校および盲、聾、養護学校の教科に関する事項は当該学校の目的および当該学校教育の目標に従い、監督庁が、これを定めるとされその監督庁とは当分の間、これを文部大臣とすると規定されています。この規定については同法が判定されてから今日まで、なんらの改正も行われていません。教育課程についての法律上の規定はこれのみですが、それをうけて詳細は、文部省令と学習指導要領によって定められています。
この「監督庁が、これを定める」をうけて文部大臣が「定める」定めとは学校教育法施行規則の第二章第二節(小学校の教科)以下で規定されている各学校の教科等に関する定めです。そこには現在、教育課程の編成(例えば小学校では具体的名称として、各教科、道徳、特別活動の三領域から構成されている)、授業時教、履修困難な各教科の学習指導、教育課程等の特例、課程の修了、卒業の認定、卒業証書の授与などの定めがみられます。
これら以外の教育課程の基準については、よりくわしくは再委任規定である文部大臣が別に公示する当該学校ごとの学習指導要領にゆだねられています。
以上のように現行法律上、文部大臣の教育課程に関する権限は「教科に関する事項」のみにかかわらず、省令以下の定めで、各教科、道徳、特別活動、授業時教などのほか、各教科の内容や方法などを示した学習指導要領にいたるまで、かなり詳細に定めているのが特徴的です。教育課程の基準として文部大臣がここまで詳細に定めたりすることの是非、あるいはその形成過程のあり方いかんが問わねばなりませんが、現場教師にとって、学校での教育課程の編成、実施の際により直接的に重要な問題になってくるのは学習指導要領の法的拘束性についてです。この拘束性が行政解釈として主張されてくるのは一九五八年の改訂学習指導要領の告示化にともなってですが、それはそれまでの学習指導要領が教師の教育課程編成の際の「手引き」ないし指導前言文言としての性格でしかなかったものを改変してなされたものでした。このように学習指導要領の性格が変えられることによって、教師の自主的創造的な教育実践の展開をすすめにくいものにしたことは否定できません。この法的拘束性についてはつねづね厳しい批判がなされているにもかかわらず、学習指導要領の改訂においてもそれは撤回されていません。
現在の行政解釈は、いまみたように学習指導要領を法的拘束性を有するものとして解釈するものが支配的ですが、他方、教育法学界では学習指導要領を教師の教育課程編成の際の手引書、参考書として位置づけ、法的拘束力を認めない説が有力です。それは教育課程の国家基準の否定、教育内容に関する教師の、専門性、自主性の確認をよりどころとして主張されているものです。これは戦後日本の教育改革の民主的理念に立脚するものであり、同時に子どもの学習権を保障するにふさわしい創造的で豊かな教育をすすめていくには教師の自由や自主性、創造性の保障が不可欠であるという教育そのものの本質と一致するものです。
この点については、最高裁の学力テスト判決においても、文部省のいうような国家の教育権説に立った教育の内容、方法の支配の正当性については一方的に支持しておらず、教育行政の教育内容への関与については教師の創造工夫の尊重、教基法の立法趣旨、教育に関する地方自治の原則などの視点から限定が付されていること、したがってそのような点からみて学習指導要領は全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法的見地からは必要かつ合理的な基準の設定としつつも、現在の学習指導要領には、細目にわたり、かつ詳細に過ぎる面があり、地方公共団体を制約し、教師を強制するのに適切でない、疑わしい部分も合まれていることを認めている点からすると、少なくとも従来の文部省の見解や主張こそ大幅に修正を迫られているといわなければなりません。
教育課程の編成権の所在の論議は、とくに一九五〇年代半ば以降、論争的になっていますが、行政解釈のなかには一九五八年の教育課程改訂以後登場した学校教育法二〇条と一〇六条を法的根拠に教育課程の編成権は第一義的には文部大臣にある、という説がありましたが、現在の教育法学界では否定されています。そもそもこの条項は、すでにみたような歴史的経緯のもとで、暫定的な措置として文部大臣に対して、ごく大綱的な事項にかぎった教育課程の基準としての、しかもそれは指導助言的文書(参考書)としての学習指導要領を設定することを窓めたものにすぎないのであって、文部大臣の教育課程の編成権の根拠とすることはできません。
教育計画作政権にほかならない教育課程の編成権は学校にある、とするのが実定法上条理上、もっとも妥当です。

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