幼児の創造性

すべての幼児はみな創造性をもっているという考えは、児童芸術や児童文学の一部の人々が言い始めたことであるらしい。いまは、この考えが浸透して、わりあい広く信じられているのですが、果たしてそのとおりに認めていいものでしょうか。
芸術や文学の分野とは違い、もっとかた苦しい科学や数学の世界では、幼児に創造性があるという説は聞きません。すると、創造性に二種類あるということになるでしょうか。創造性とは、いったい何をさすのでしょうか。
こんなふうに、問題はかなりやっかいであって、創造性とは何かを基本的に検討してみないと満足のいく答えは難しいのですが、科学や数学などのいわゆる知的領域における創造性と、芸術、文学など情操的分野での創造性とを区別する考え方は、現在は、しだいに薄くなりつつある点があります。実際、この両方の場合の創造過程を比べてみると、そこには本質的な類似点がみいだされるようでする。そうして、このことは、また、知、情、意という三つのはたらきは別ものだという伝統的な考え方が、適切ではないことを意味しています。

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創造性のなかには、知的なものも情操的なものも意志的なものも、みな融合し一体化して合まれているといえます。してみると、どれかが片手落ちでは、ほんとうの創造性とはいえそうもありません。
子供は言語能力が不足しているために、未知の事柄に対して、自分の知っている言葉をあてはめて人に伝えようと努力します。例えば、虹のことを花火みたいな橋などといいます。こういう表現は、ほんとうは子供が虹という言葉を知らないために、知っている言葉をまにあわせにつなぎあわせたものなのですが、たくまざる詩のようにみえることも事実です。ここから、子供は生来の詩人という見方がでてきます。児童画にしても、大人からみると破天荒な表現のとられることがあるから、同じく子供は天与の芸術家などといわれるのです。
しかし筆者には、以上の見方はややセンチメンタルなひいき目であるように思われます。むろん、子供のなかの優れた資質を計画的にのばす努力は大切であり、また、それが創造性につながるみちであるかもしれません。ただ、努力や訓練や学習なしの創造性はありえないことを心得ておくべきでしょう。
英才教育と早教育とは、よく混同されていますが、理念としてはまったく異なります。英才教育は、特に優れた素質や能力をもつ子供を集めて、ふつうよりも高度の教育を行うということですが、早教育とは、従来、教育適期と考えられてきた年齢以前におこなわれる教育のことをいいます。
低学年の英才教育としては、現在、知能指数の特に高い子供を集めて知能を高める教育をする試みがおこなわれているようです。しかし、IQの向上は適切な練習さえあれば、どんな子供にもみられるものであり、以上の程度のことでは英才教育とはいえそうにもありません。英才教育への評価は、もっと本格的な試みが行われるまで、控えたほうがよさそうです。
早教育のほうは、近年流行の勢いにあり、各種の対象について、いろいろな方法でおこなわれています。そのなかには、鈴木メソッドのように、特別な教授法を工夫して大きな成功を収めているものもあれば、ただ、低年齢から始めるというにすぎないものもあるようです。しかし、最近の考え方からすれば、人間はつねに何かを学びつづける存在であり、ごく早期にもそれなりの学習や教育の可能性があると信じられるようになってきました。教え方の工夫と努力があれば、早教育は、今後、様々な分野で意想外な効果をあげていくと予想されます。この意味での早教育は、一種の才能教育といえるでしょう。

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