素直な子

 親や先生の言うことを素直に聞こうとしないというこは、別の見方をすれば、それだけ個性的な生き方をしようとしているとも受けとれます。また、それだけ自己主張が強く、自分で意志決定をしようとする積極性のあるお子さんであるとも言えます。
 頭から否定すべきことではないように思われます。
 大人が言うことをきかないと考えている場合、たいていは、大人の方が無理なことを言っている場合の方が多いようです。
 例えば、子どもに対して「なぜ、お前は素直になれないのだ」などと言ってはいないでしょうか。よく親がロにする言葉ですが、これは一種のかけ声のようなもので答えることのできない質問です。
 よく考えてみてください。「なぜ」と言われても、子どもには素直ではない自分の心を分析して、それを説明する能力など、あるはずがありません。
 黙っているよりしかたがありません。「今日は、その理由を言うまでは許しませんよ」などと言うようになっては、まったく無理難題をおしつけていることになるはずです。
 また、こういう言い方をしていることはありませんか。「あなたは、やればできるのよ。やる気をおこしなさい」やる気をおこせと言われても、どのようにすることがやる気をおこすことになるのでしょう。子どもにとっては答えようがないではありませんか。
 「はい、それでは、ぼくは今からやる気をおこします」とでも答えたら、お母さんは満足するのでしょうか。言葉のやり場に困るのではありませんか。

スポンサーリンク

 「明日から心を入れかえて良い子になるのよ」などと言って はいませんか。これも答えに困ります。
 もし、こう言われた子どもが、「はい」と答えたら、それは素直な子と言われる子どもと見られるかもしれませんが、これはむしろ、問題児と言えるでしょう。なぜなら、この子は嘘をついていることになるからです。「心を入れかえろ」と言われても、心というものは録音機ではありませんから、そんなに簡単に入れかえられるものではないはずです。
 もし「お母さん、どのようにしたら、ぼくの心は入れかえることができるの」と逆に質問してくる子どもがいたとすれば、それこそまっとうな子どもと言えるはずです。
 ところが、このような言葉を聞くと多くのお母さんは、反抗的な態度と受けとってしまうようです。
 小学校一年生の作文の一節です。
 ぼくのお母さんは、ぼくが何かしようとする時、いつも言います。「しっかりやるのよ」ある日「しっかりやるって、どういうこと」と聞いたら、「がんばることよ、ばかね」といった。
 これではまるで禅問答のようなもので、ただかけ声をかけているにすぎません。
 素直に聞こうとしても、聞きようがないではありませんか。
 大人が、子どもにむかって言う言葉にはこのようなたぐいのものが多いようです。
 ただ言葉をかけてやればそのとおりになるものだと考えられているようです。
 「負けるものかと思いなさい」というのも、「意地を出せ」という言い方もまったく同じです。
 こういう言葉を百万回言っても、それによって「負けるものか」と思い「意地を出そう」とするものではないのです。
 みんな大人の気やすめであって、ちょっと、子どもが論理的に物事を考えるようになると、疑問をもったり、とまどったりするだけです。
 「負けるものか」と思うような子どもにするためには、言葉でそう言うのではなく、負けたくやしさを実際に味わわせることであり、それを補うために、何をすればよいかを考えさせることこそが大切なのではないかと思われます。
 「お父さん、お母さんを大切にしよう」ということばを唱えさせれば、両親を大切にしようとする子どもが育つと考えているのもまったくナンセンスと言えます。
 まず、両親自らが、子どもから尊敬され、信頼される人物であるかどうかが決定的なことなのではないでしょうか。
 それこそ「うちのおやじは、ろくな稼ぎもないくせに競輪、競馬にうつつをぬかしていて、しようのない親だ」と思わせていて、「大切にしよう」と唱えさせたとすれば、気のきいた子どもなら吹き出すに違いありません。あるいは、二重に軽べつされることになるはずです。

性格づくりと情緒/ 個性的な子/ 身のまわりの事が一人できない子/ 自主性のある子に育てたい/ 明るい子/ 表情豊かな子/ 思いやりのある子/ 創造性のある子/ たくましい子/ 素直な子/ 協調性のある子/ 困った性格を治すには/ 怒りっぽい子/ 落ち着きのない子/ 内弁慶の子/ 神経質な子/ 欲ばりの子/ 嘘をつく子/ わがままな子/ 甘えん坊/ 泣き虫の子/ 理屈っぽい子/

       copyrght(c).子育てと育児.all rights reserved

スポンサーリンク